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2026年3月5日木曜日

「北方墓畔派」 FT新聞 No.4789

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オリジナル小説「北方墓畔派」

 岡和田晃
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 ——晩鐘が暮れゆく日に弔いを告げる
 煉瓦であつらえられた喫茶店のなか、物憂げな情景が読み上げられる。一節、また一節と。ささやくのではなく、がなり立てるのでもなく……。
 ——居並ぶ家畜は草地をゆるやかに歩む
 アルトの声音はよく通り、ざわついた店内を鎮める。落ち着いた色合いの布が張られたソファに腰掛けた客たちは談話を中断し、朗読者の方へと目を向け、ごくりと息を飲む。
 ——くたびれた農夫がとぼとぼと家路をゆき
 なるほど、詠われる光景こそ寂寥たる田舎の景色ではあるが、朗読者の出で立ちはモダンな洋装で、背筋はピンと伸ばされている。その対照性が相俟って、確かな存在感を発揮しているのだ。当代のアプレゲールというよりは、大正時代のモガを思わせる短髪に、形のよい目鼻立ち……。
 ——この世界に残されたのは、夕闇と私のみ
 最初の連を終えたら、あとは一瞬だった。全編を読み終わると、壇上の女性は深々と頭を下げた。堰を切ったように割れんばかりの拍手が巻き起こる。顔を上げた彼女の頬には、心なしか赤みがさしている。意外と場数を踏んではいないのかもしれない。席へ戻った彼女に、ソファに腰掛けていた五十がらみの紳士が、「あなたが読まれた詩は、何という作品ですか。どうも、どこかで聞いたことがあるような気がしまして」と訊ねる。
 彼女は答える。トマス・グレイの"田舎の墓地で詠める悲歌(エレジー)"、ケンブリッジの隠者とも呼ばれる一八世紀の学究詩人が生前に遺した数少ない作品なのだと。それを聞いて男の方は、
「道理で聞き覚えがあると思いました。いやね、この喫茶店は、もう四半世紀前になりますか、それはもうハイカラで知られておりましてね。各地から若い詩人たちが集まり、競うように詩を吟じていたものです。当時、私はまだ二十歳そこそこの若造でしたが、次は何が来るかと思って通ったものです。なかにはアナキストや共産主義者までいてねぇ。そこで英国はもちろん、フランスの象徴派や、プーシキンみたいなロシアの詩なんかについても熱っぽく語られていましたよ。いやはや、懐かしいなあ。そのときのことを思い出させてもらいました」
 納得したという面持ちで語った。もちろん、彼女の方は——名は史子と言うのだが——それくらいのことは心得ている。かつてこの店は、サロンとして知られた場所だ。いまこそ、ジャズの演奏がメインで、今回も前座の余興ならと特別に時間と場所を割いてもらったにすぎない。だけれども、史子はどうしてもこの場に立ちたかったのだ。
 史子は東京の大学で英文学を学んでいる。学内の図書館で偶然見つけた戦前の雑誌「北方墓畔派」で、この喫茶店のことを知り、夏休みの旅行を兼ねて立ち寄ることにしたのだ。卒論に役立つとも思えなかったが、なぜか気になって仕方がなかった。詩誌の発行所として記された珈琲店トレンティとは、まさしくこの場所のこと。実は今回の朗読も、載っていた訳文を使わせてもらった。トマス・グレイは明治期から日本でも読まれ、それこそ有名な矢田部良吉訳のように「山々かすみ いりあひの/鐘はなりつつ 野の牛は」と、伝統的な七五調で訳した例もある。しかし、中央から遠く離れた北の軍都に息巻く詩人たちのなかでグレイが、近代詩らしい定型から半ば離れた文体をもって紹介されていたとは知らなかった。しかも当時としては珍しいことに、うら寂しい墓畔派の詩を訳していたのは、どうやら同じ女性、かつ史子という同名らしかった。
 その日の昼、喫茶店の主人に挨拶して来訪の目的を簡単に告げると、まだ若い男は怪訝な顔をした。自分と同じ名の"女流詩人"がどうなったのかを尋ねたが、よく知らないとつっけんどんに返されただけで、せめてもの思いで彼女が訳した詩をここで詠みたいと食い下がったら、物珍しさからか許諾をもらえた。そのような経緯をかいつまんで紳士の方に話すと、それまで朗らかだった紳士は顔を曇らせ、
「そうでしたか、史子さんの……。マスターがしゃべりたがらないのもわかるなあ」
 打って変わって言葉少なになる。が、彼は不思議そうに見つめられているのに気づいて、
「いやね、あまり話すと出るんですよ、その……史子さんの霊がね」

 史子は川向うにあるゆるやかな坂を下っていた。あちこちの煙突から、細い煙がたちのぼっている。郊外の工場地帯というのだろうか、それとも北の新開地というべきか、百貨店や名画座の連なる駅前通りとは打って変わった雰囲気だ。生活感を隠そうともせず、それでいて横文字を使った洋食屋や時計屋がちらほら見える。
 史子の霊だって? 苦笑しながら紳士を問い詰めてわかったのは、門別史子という名で「北方墓畔派」に書いた女性詩人は、すでに亡くなって久しいということだった。彼女は北の港町にあった高等商業学校で、苦学しながら英語と英文学を学んだ後、北の軍都の新聞社で校正係をつとめた。通信社から送られてきた英文の記事を翻訳するような仕事もこなした"才媛"だったらしい。傍ら、地元の詩人たちのサロンに顔を出し、英詩の翻訳を発表するようになったという。よくよく詩誌を追ってみると、史子の寄稿は一九三五年の初頭を最後に途絶えていた。図書館で地元の新聞をさらい直してわかったことには、この年、珈琲店トレンティに集った詩人たちは、"アカの手先"とみなされ、特高警察による摘発で片っ端から投獄されてしまったらしいのだ。多くはすぐに釈放されたが、その後、サロンでの会合も「日章旗に向かって敬礼」から始まるようなものに様変わりしてしまったという。
 調査に数日を要したが、店で得たツテを頼りに「北方墓畔派」の元同人を訪ねて回った結果、新町と呼ばれるこのあたりの外れに史子が住んでいたと教えてもらえたのだが——なんと、そこは"雑品屋"だった。鉄屑や廃品を回収して回る、ハイブラウなイメージの英詩とは似ても似つかない店である。恐る恐る、浅黒く日焼けした店主に史子のことを訪ねると、彼は顔を曇らせた。
「そうですか、ええ、確かに史子さんはここで亡くなりました。実は、私が彼女を看取ったんです。よく知りませんが、頼れる人もなかったようで……」
 中年男が鼻をすすらせる。
「釈放されたとき、史子さんはひどく胸を病んでいたんですよ。不衛生な環境で結核になってしまったんです。捕まえたまま死なれたんじゃあ体裁が悪いってんで、もう助からないのを見越して、地元に返されるところだったんです。だけど、引き取り手が現れない。だから、差し出がましいとは思いましたが、親父と相談して、うちに来てもらったんです。ですが、ロクな薬もないでしょう。一ヶ月もしないうちに亡くなってしまわれました」
 史子とはどういう縁があったのか、と訊いても男は答えなかった。だが、彼女の墓がどこにあるのかを聞いてみたところ、軍都の隣町にある山の中だと教えてはくれた。それでピンと来た。地元では幽霊が出る、とあちこちで語られていた共同墓地である。とはいえ、そのことはおくびにも出さず、史子はその日の仕事が終わるまで待った。男はオート三輪を出し、墓まで連れて行ってくれるというのだ。朝が早いからか業務の切り上げも早々に終えられるのか、そこまで待たずに済み、日没の少し前には出発できた。
 ガタガタと揺れる車窓から、流れ行く風景をじっと見つめる。すぐに市街地を離れ、あまり手の行き届いていない畑が続く。かと思えば、山道に差し掛かるにつれ、掘っ立て小屋が点在するのが見え、振り返れば、線路が見下ろせた。徐々に日が暮れてくる。やがて、何かが雪崩れ込んできた。唐突なようで、ごく自然と。窖(あなぐら)の奥底から渦巻く情念、苦悶に満ちた呻き……。この地に宿る、声にならない声が耳朶(じだ)の奥で轟き、脳裏を引っかかれるような痛みをおぼえた。極寒の冷気が史子を取り巻き、世界が青灰色に覆われる。
 そうか、と腑に落ちた。この辺りにはタコ部屋がたくさんあった、という逸話を思い出したのだ。図書館で見た記録では、近隣の国から強制連行された人たちが短期間で大量に虐殺されたのは、詩人の没後十年近く後、敗戦も間近な時期という。けれども、死者たちの宇宙において時間なぞ関係ない。そして私は呼ばれている。何かを語らせるために。
 史子は身を震わせながら、「北方墓畔派」の最終号に遺されていた一節を反芻する。
 ——うたの、いやはてに

初出:「ナイトランド・クォータリー・タイムス」issue22、2024年


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