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2025年9月18日木曜日

詩はパラグラフをはみ出る——ゲームブックと土俗 FT新聞 No.4621

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「詩はパラグラフをはみ出る——ゲームブックと土俗」

岡和田晃
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 明日槇悠「シはパラグラフを飛ぶ——ゲームブックと文学性」(FT新聞 No.4587)およびその応答たる、くろやなぎ「死はパラグラフに留まる——ゲームブックにおける「殺意」と死の意味について」(FT新聞No.4594)を興味深く拝読しました。
 田林洋一さんの連載『スーパーアドベンチャーゲームがよくわかる本』をチェックしていても思うことですが、こうして自生的な批評の試みが生まれでてくるというのは、なんと申しますか隔世の感があり、率直に感動しました。
 かつて、とりわけインターネット上では、TRPGやゲームブックを批評的に考察するという試みが、いたずらな権威化につながると忌避されていたところがありました。しかし、批評家が先鞭をつけ、研究者がそれを定位していかねば、作品は容易に埋もれてしまうのが現実ですから、個々の評価の内実を捉えず、一律に「権威化」だと退けるのは百害あって一利なしだと愚考します。そうした意味で、御三方の仕事に改めて勇気と知的な刺激をいただきました。
 ただ、『SAGBがよくわかる本』はFT新聞配信前に、水波流編集長経由で私見を述べていますので、ここでは割愛し、くろやなぎ氏とは別の視点から、明日槇論文(以下、「シは」)への応答を試みたいと思います。
 
 さて、「シは」が画期的だったのは、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論と、ゲームブック(というかアナログゲーム全般)の特徴でもあるルールの可視化を並列させることで、ゲーム(ブック)の文学性を定位させようとしたところにあると思います。
 そのうえでポエジーや身体性、さらには無限性といった、なまなかな定義をはみ出てしまう遊動的な感覚に、ゲームブックの文学性を再発見していて、なるほどと唸らされました。
 
 ただ、いくらエッセイとはいえ、「純然たる文学性の評価」というコメントには疑問符がないわけではありません。そもそも「純然たる文学性」などというものが奈辺にあるのか、という問題です。具体例に出されていたジョイスの『ユリシーズ』などは典型で、あの作品は古典古代の叙事詩(それこそホメロスの『オデュッセイア』)が持っていたようなアウラを喪失した現代人の様相を描いており、それゆえ「純然たる文学性」という考え方を意図的に解体させているようなところがある。ちょうど、モダニズム期の他の文学作品、デーブリーンの『ベルリン・アレクサンダー広場』などと比べてみるのがわかりやすいでしょうか。
 
 読み手を幽玄の地、恍惚境へ誘うような彫琢された文章だけではない形でも、ゲームブックの文学性は存在するのではないかと愚考します。例えば、スティーブ・ジャクソンの『モンスター誕生』の転倒した語りと、それを補完する(狭義の)小説による描写の妙。バターフィールド&ホニグマン&パーカー『冒険者の帰還』のように、ギリシアの悲劇の構造をそのままゲームとして再現したアイロニー……。これらは「純然たる文学性」に近いものとして同列に論じられますが、ゲームブックでなければ書くことが難しかったろうとも感じます。
 「シは」で指摘されたカルヴィーノ『宿命の交わる城』と、思緒雄二『送り雛は瑠璃色の』の間には、近年書き下ろされた『送り雛』のスピンオフ小説「生き人形、家出する」(「ナイトランド・クォータリー」Vol.26)が該当するように思います。遊戯と身体を結ぶ、土俗性の問題です。
 
 〈ファイティング・ファンタジー〉でも、あるいはT&Tや〈モンスター!モンスター!TRPG〉でも、それが魅力的なのは、ファンタジー世界に実在感を付与する土俗性が、いったんルールとして言語ゲーム的に可視化されたうえで、残余の部分が、それこそ仮想的なホメリック・パラレルのごとく世界観(タイタン世界、トロールワールドやズィムララ)と連動しているように見えることではないでしょうか。『火吹山の魔法使い』の版元が優れた児童文学を多数刊行したパフィン・ブックスなのは、偶然ではないのです。
 『展覧会の絵』にしても、これ1冊で完結するのではなく、平田真夫名義での『水の中、光の底』および平田・森山共同名義での「吟遊詩人」(「SF Prologue Wave」)でも深められています。こちらはいずれ、コラボレーション企画でFT新聞でも改めて紹介したく存じます。
 ボルヘスについても同様のところがあり、とかくブッキッシュでペダンティックな作家だと思われがちなボルヘスは、アルゼンチンのマッチョなガウチョ文学の伝統に強い共感を寄せていましたが、その背景には土俗的な伝統への共感がまずあったように思います。
 他方、西脇順三郎の『旅人かへらず』がゲームブックだったというのは、「シは」の指摘で改めて意識させられたことでした。まさしくエウレカ!なのですが、この流れで想起されたのは、コルタサルの『石蹴り遊び』。本作は冒頭から順繰りに読んでいくことも、指定された順番で読み直して別の物語として読むことも、さらには(書かれていませんが)別の読み方もできるという画期的な作品でした。
 
 私はいま、ボルヘスやコルタサル生誕の地であるブエノスアイレスに住んでいるのですが、もともと植民都市として出発したこの街に20世紀に生きるということの哀しみを書きつけたコルタサルの感覚は、当地ではいっそう強く実感させられます——ヨーロッパへの飽くなき憧憬を抱いた作家はパリへ留学し、そのまま生涯をフランスで過ごしたのです。
 このコルタサルがゲームブック的だと指摘したのは、私が最初ではありません。フーゴ・ハル氏です。1986年の「アルバイトニュース」で、いち早くそのことを指摘しています。当人の許可で再録しているので、未読の方はご確認ください。
https://analoggamestudies.seesaa.net/article/246178978.html
 最後に、明日槇悠さんへの敬意を込めて、ひとつ前衛短歌を捧げたいと思います。

——段落飛び越え垣間見ゆる奈落 見返す怪物どもとガウチョの無何有郷(ユートピア)


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