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『スーパーアドベンチャーゲームがよくわかる本』 vol.6
(田林洋一)
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FT新聞の読者のあなた、こんにちは、田林洋一です。
全13回を予定しております東京創元社から出版されたゲームブックの解説「SAGBがよくわかる本」、6回目の記事を配信いたします。今回と次回の7回は日本が生み出したゲームブックの申し子「鈴木直人」の諸作品を扱います。6回は『スーパー・ブラックオニキス』を中心に解説します。
なお、本連載はSAGBとして東京創元社版のみを検討・分析する記事とさせて頂いておりますので、後に別会社から出版された復刻版・改訂版など(今回では『ブラックオニキス・リビルド』)については取り上げていないことを予めお断りいたします。
本連載は「名作」と呼ばれるものを最初に集中的に扱っている関係上、連載の後半になるに従って厳しい批評が多くなりますこと、ご寛恕ください。作品そのものを全否定する意図は全くないことをご理解いただければと思います。「私はそうは思わない」という感想がございましたら、ぜひともお寄せいただければ嬉しく思います。
毎回の私事ではありますが、アマゾンにてファンタジー小説『セイバーズ・クロニクル』とそのスピンオフのゲームブック『クレージュ・サーガ』を上梓しておりますので、そちらもご覧いただければ嬉しく思います。なお、『クレージュ・サーガ』はこの記事の連載開始後に品切れになりました。ご購入くださった方には、この場を借りてお礼申し上げます。
『セイバーズ・クロニクル』https://x.gd/ScbC7
『クレージュ・サーガ』https://x.gd/qfsa0
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6.日本人作家最高峰の作品 -鈴木直人の世界(その1)
主な言及作品:『スーパー・ブラックオニキス』(1987)
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「ドルアーガの塔」三部作で鮮烈なデビューを果たした鈴木直人は、その後も優れた作品を残し、日本のゲームブック作家として最も成功した人物の一人である。鈴木直人の作品が傑作の地位をほしいままにしているのは、圧倒的な文章力、表現力に加えて、面白いゲームを構築するというゲーム作家としての二つの素質を高レベルで備えているからであろう。ゲームブックを作成するのが小説やゲームを作るよりも遥かに難しいのは、単に一つの才能に特化するだけでは足りないという点、即ち、マルチな才覚が要求される点にあると思われる。ここでは、鈴木直人の作品のうち、執筆順としては「ドルアーガの塔」三部作に続く『スーパー・ブラックオニキス』を検討してみよう。
『スーパー・ブラックオニキス』は、同名のパソコンゲームを原作・下敷きとしているのは「ドルアーガの塔」とほぼ同じだが、内容は(やはりアーケード版やファミコン版「ドルアーガの塔」と同じく)大幅に異なる。完成度という点では他の国産のゲームブック、そして海外の作品と比べても群を抜いていて、今でもゲームブックの最高傑作と評されることも多い。
放浪の戦士テンペストが、呪われた街ウツロで仲間を集めて秘宝ブラックオニキスを探し出すというのが物語の筋書きだが、単純な宝探しに終わるわけではない。宿敵マサイヤとの手に汗握るドラマチックな戦いや緻密に計算された豊富な謎解きなど、随所に飽きさせない仕掛けがされていて、単純な迷路や意味のないイベントなどは全くない。ここまで濃密かつ細部にまで配慮が行き届いた、隙のないゲームブックも珍しい。
独特のストーリーや雰囲気を特徴づけているのは、原作のパソコンゲーム「ザ・ブラックオニキス」が、海外出身のゲームプログラマーであるヘンク・ロジャースが日本で制作・販売したという「ハイブリッドな」ゲームという要因もあるだろう。原作では各キャラクターの数値が固定化されており(これは後述するように、ゲームブック『スーパー・ブラックオニキス』のプレイヤーキャラクターが「盗賊」や「魔術師」、「聖職者」など、確固たる役割(職業)を担っていることに反映されている)、出てくるモンスターがファンタジー的な魔物に加えて、自然界に存在する動物も頻出するなど、他のゲームとは一線を画する特徴を備えている。
『スーパー・ブラックオニキス』の興味深いところは、主人公側が四人パーティで臨むという点だろう。最終的には最初の戦士テンペスト(A戦士)、盗賊のバムブーラ(B戦士)、魔法使いのシモン(C魔術師)、そして聖職者タラミス(D戦士)という個性溢れる四人が集合するが、「誰を仲間にするか」も主人公側の決断に委ねられている。例えば最初に仲間になるバムブーラには(そしてシモンにも)候補が三人おり、名前こそ同じだが全くの別人物という設定で、それぞれ能力値や特殊能力が異なっている。つまり、プレイヤーはそれぞれの「バムブーラ」と「シモン」を仲間にできるというわけだ。唯一タラミスだけは固定だが、この美人戦士の加入を喜ばないものはいないだろう。
基本的に、こちらのパーティが一人(テンペストのみ)の場合はレベル1の迷宮、バムブーラと組んだ場合にはレベル2の迷宮、という具合に探索が行われることになるが、作者があとがきでも述べているように、誰かが死ぬだけでゲームオーバーになるわけではなく、また主人公のA戦士テンペストだけが生き残れば残りは全滅してもいい、というような冷酷なシステムにもなっていない。四人のうち誰か一人でも生き残っていれば冒険が継続できる(ゲームオーバーにならない)という寛大かつ計画的なシステムを採用しているのだ。
この辺りは、ちょうどコンピューターゲームの「ドラゴンクエスト」シリーズや「ファイナルファンタジー」シリーズに似ている。もっとも、双葉社から1987年に出版されたゲームブック『ドラゴンクエストII』(上)(下)は、仮に仲間が死んでも生き返らせればそれでゲームが続けられる仕様になっている(仲間が死亡状態の場合は、冒険を一時的に中断し、仲間を寺院などで復活させるために急いで町や城まで戻る必要がある)一方で、主人公が死んでしまえばそれで終わり、というシステムを採用している。
これは、双葉社版『ドラゴンクエストII』が「パーティキャラクター全員が生きていることを前提としたストーリー構成」であることもその理由の一つだろう。当時のファミコンは容量やスペックの都合で、どうしても「キャラクター同士の掛け合い」や「会話」といった側面が削ぎ落とされていた。双葉社のファミコン冒険ゲームブックは、ファミコンでは表現し切れなかったキャラクターの関係性を前面に押し出した結果、「常に三人のパーティで進行する」という展開に立脚することになったのではないかと思われる。
「主人公が複数」というシステムはファイティング・ファンタジー・シリーズの第四巻『さまよえる宇宙船』でスティーブ・ジャクソンが採用しているが、着陸した惑星を調査する場面では双葉社版『ドラゴンクエストII』と同じく、「主人公が仲間を連れて行動する」というルールを用いている(安田均はこのシステムの複雑さと作品の量が折り合わないことから『さまよえる宇宙船』を「失敗作」と断じている(『ファイティング・ファンタジー・ゲームブックの楽しみ方』p. 116-117))。もっとも、『さまよえる宇宙船』は主人公である船長が生きていれば残りのメンバーに欠員が出ても冒険を継続できるので(パーティ全体の特殊能力は限られてしまうが)、双葉社版『ドラゴンクエストII』よりも現実主義なところがある。
また、双葉社版『ドラゴンクエストII』の能力値が一人分(パーティ全体を一つの単位として扱う)であるのに対し、『さまよえる宇宙船』では科学官や警備員にまで固有の能力が付与されている。つまり、『スーパー・ブラックオニキス』と同じシステムになっているのだが、『さまよえる宇宙船』はパラグラフ数が三四〇しかないのに対し、『スーパー・ブラックオニキス』は六〇〇とほぼ倍の分量である。
前者は設定しなければならないパーティメンバーも多く、やや複雑で皮相的なパーティプレイになる危険性も秘めているが、逆に言えば、より細かなデータをプレイヤーキャラクターに落とし込むことで、ゲームとしてのリアリティ(各個人の特性)をゲームシステムに反映させたパイオニアとも捉えられる。因みに、同じファイティング・ファンタジー・シリーズの第十六巻『海賊船バンシー号』は、複数いるであろう船の乗組員に個別にデータを付与することはせずに、(主人公とは別に)乗務員をまとめて一塊とみなし、「襲撃力点」と「戦力点」の二つの数値で能力を表している。
その一方で、後者『スーパー・ブラックオニキス』は壮大なボリュームと同時に、きめ細かく練られて使われているシステムが濃密なストーリーとうまくマッチしている。『スーパー・ブラックオニキス』は、『さまよえる宇宙船』のパーティーシステムを改良した、非常にバランスの良い構成になっているのだ。
要の戦闘ルールは、「ドルアーガの塔」三部作と『ドラゴンバスター』両者の利点を取り入れた内容になっている。キャラクターごとに攻撃力(戦力ポイント+武器ポイント)と防御力(防御力ポイント+防具ポイント)が設定されており、サイコロを二つ振って出た目に攻撃力を加え、やはりサイコロを二つ振って出た目を相手の防御力に足した数とを比較する。体力ポイントの概念は主人公側にはあるが敵側にはなく、基本的に攻撃が一回当たれば敵は死ぬ。具体的には、怪物チェックと呼ばれる空欄のボックスがあり、攻撃が当たるとチェックを加えることで「敵の死」を表し、「敵があと何匹生きているかどうか」が分かる仕組みになっている。よって、敵が単体で出現した場合には(一度当たれば敵は死亡するので)怪物チェックを用意する必要がない。
外すと相手が攻撃してくるが、仮に敵の攻撃が当たったとしても敵のダメージポイント分の点数を体力ポイントから引くだけで、再び自分の攻撃ターンが回ってくる。つまり、戦闘においては圧倒的に主人公側が有利なように設定されているのだ。もちろん例外はあって、体力が極めて高い敵については一体につき複数の怪物チェック(つまり、特定の敵は通常の雑魚敵よりも体力が高いことを示す)を要求されることもある。
これは、このゲームブックの難易度が非常に高いこととも関係している。他のゲームブックと違って主人公側の体力ポイントは低めで、しかも体力を回復する手段が極めて限られている(ウツロの街では、体力を回復する方法が宿に泊まるか食事をするかくらいである)。初期装備も甚だ貧弱で、また金銭的にもあらゆる場所で金策を練っておかないとたちまち破産する。敵も単体で出現することは少なく、たいていは徒党を組んで襲ってくるので、戦闘でも苦戦することになるだろう。
戦闘において、敵は一撃で死んでくれるが味方は体力ポイントを削られていくだけというルールは賛否両論があるだろう。手順が単純化されて戦闘システムが進めやすく、また敵を一刀両断するという爽快感が味わえるという利点はあるが、逆に敵の耐久力を無視するという点ではリアリティを損なうからだ。例えば、攻撃力はたいしたことはないがタフな相手(ゾンビなど)、逆に攻撃力は凄まじいが一瞬で死んでしまう敵(巨大クモなど)のように、敵を個性化することができない。つまり、細かい敵の能力を戦闘に反映できないという欠点があるというわけだ。
これに対する反論は当然あり、前者のゾンビのような敵は防御力を極めて高くすればいいという意見もあるだろう。リアリティとゲーム的な煩雑さの軋轢をどうなくしていくかという問題は、ゲームブックだけでなく等しくRPGという形式のゲーム(コンピューターゲームやテーブルトークRPGを含む)に共通していると言っていい。例えばコンピューターゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズは、徐々に主人公側の能力値が上がっていくことで成長を楽しむことができるが、かよわい女性や子供のキャラクターでもレベルを上げれば、低レベルの筋肉マッチョの男戦士よりも能力値が上回ってしまうという事態が往々にして頻出する。これはゲーム的にはレベルで成長を感じさせるという点で優れているが、リアリティという点では相反する。
どのようなシステムを採用するにしても一長一短があるが、『スーパー・ブラックオニキス』は『ドラゴンバスター』などと同じで、一撃で敵を倒せる爽快感に加えて、敵の側にも「攻撃力」と「防御力」を差異化させることで体力ポイントをこの二つに内在化させ、(プレイヤーを必要以上に戦闘に拘束させない)ゲーム的に自然な流れを作り出したように思われる。このように、そのゲーム的効果は極めて高いレベルで保持されている。
また、双方向移動の常としてフラグ管理の問題があるが、『スーパー・ブラックオニキス』ではチェックリストという『ネバーランドのリンゴ』の「キーNo.」に近いシステムをとっている。この辺りは、鈴木直人が「ドルアーガの塔」の鐘などに代表されるアイテムの捨象問題を改善させたことが示唆される。アイテム名もいちいち記録する必要がなく、アイテムの有無もチェックリストで管理できるという利点も併せ持つ。もっとも、入手したアイテムを記録することで臨場感を味わうのがたまらないというプレイヤーは物足りなさを感じるかもしれない。
ルールシステムは以上の通り、売りの四人パーティと別個に能力値を振り分けるという以外はごくシンプル(あるいは既出)だが、『スーパー・ブラックオニキス』が傑作との呼び声が高いのは、その物語性の濃さにあると言っていいだろう。まず、無駄なものが極めて少ない。「無駄」とは、単に迷路のための迷路(迷わせるだけの迷路)や襲いかかってくるだけの障害物のような敵は出て来ないという意味で、基本的に全ての事件が何らかの役割を持っている。
例えばレベル1の迷宮にはテンペストが単身で挑むことになるが、一見「単なる迷路」にみせかけておきながら、ここでのマッピングが後々の展開に多大な影響を与える。更にはレベル2の迷宮で遭遇する「汚物溜めに浮かぶ石をジャンプしていく仕掛け」は、「ドルアーガの塔」の第一巻『悪魔に魅せられし者』に登場する七階の熱湯風呂に浮かんでいる浮き石をジャンプして渡っていく罠を彷彿とさせるが、前者がスマートに作られているのに対し、後者はやや浮き石の迷路がくどく、意味が希薄になっている。もっとも、鈴木直人はここでもさりげなく隠しアイテム「レッドソード」を用意することで、「探索の楽しさ」を十分に味あわせ、かつ読者の興を惹く仕様も忘れない。
ウツロの街も、「ドルアーガの塔」の第三巻『魔界の滅亡』を思わせるような個性的かつ人を惹きつける登場人物が満載で、「商品を並べただけのつまらない店」や「ただ体力を回復させるためだけの宿」といった単純な場所は一つもない。全ての場所や出会いに意味があり、主人公とゲーム的にもストーリー的にも濃厚にかかわってくる。一回立ち寄っただけでは「その場所の深み」を味わうことができず、チェックリストの状態によってそれぞれの場所で起こるイベントが変化する。「前に来た時にはなかったのに、こんなところにこんなものが」という意外性が物語に更に深みを与えているのだ。
もっとも、ゲーム的な「イベントフラグ」だけでないところが『スーパー・ブラックオニキス』の素晴らしいところで、圧倒的な筆力にちょっとしたチャームポイントを加えたり、数々の新しいアイデアを施した謎解きがあったりと、繰り返すようだが無駄なパラグラフが一つもない。例えばレベル3の迷宮には、魔術師シモンを加えた三人パーティで挑むことになるのだが、回転扉という非常に精緻な仕掛けが施されている。ジャクソンやリビングストンの作品ではこうしたイベントにヒントがなく、運任せでトライする「覚えゲー」という展開になることも多いが、『スーパー・ブラックオニキス』では事前に情報を集めてアンテナを張っておけば、こうした罠や迷路を回避することは比較的容易である。
これはレベル3の迷宮に言えることだけでなく、ウツロの街を含めた全ての場所でも同様である。この作品には、いわゆる「理不尽なイベント」や「突発的な死」がない。プレイヤーは注意深く迷宮を探索し、周囲の声に耳を傾けながら徐々に明らかにされていく壮大な謎と向き合っていくという、「こちら側の才覚」も要求されることになる。ある意味で、ゲーム的なパズルが冒険全体に押し広げられていると言ってもいいだろう。「パズル」と言っても、パズルのためのパズルや迷路のための迷路、つまり、そのイベントの目的がゲーム的に明らかにはっきりしているのではなく、物語と重厚に絡みながら解き明かしていくという、ゲームブックの極みを体現した形になっている。
前の回でも既に述べているように、海外産のゲームブックの代表格であるファイティング・ファンタジー・シリーズ、中でもイアン・リビングストンを中心とした作品群ではこの点がかなり高難易度な作りになっていて、例えば「右に行くか、左に行くか」という単純かつノーヒントの迷路を右往左往させられることがままある。安田均は、リビングストン著の『盗賊都市』で起こるイベントが気ままかつノーヒントであることを「起こった事件の突飛さを楽しめばいい」(前掲書、p. 79-80)と好意的に受け取っているが、プレイヤーから見ればその「突飛さ」が時として予期せぬもので唐突な印象を受けることもあるのではないだろうか。
同じくファイティング・ファンタジー・シリーズの第十四巻、リビングストン著の『恐怖の神殿』では、五つの竜の飾りを探し出さなくてはいけないのだが、それと同時に「死の使者」が用意した五つの呪いの文字(DEATH)を回避しなければならない。あちこちと家捜しをしなければ竜の飾りを逃がしてしまうかもしれず、かといって全ての箇所(机の引き出しなど)を覗き込んでいくと必然的に死の使者のDEATHの文字を見てしまうというジレンマに立たされる。そして、ある場所を探索するかどうかという基準やヒントはほとんど皆無で、「運ゲー」「覚えゲー」の様相を呈することになる。だからこそと言うべきだろうが、こうした「予兆」や「ヒント」がないことで、プレイヤーは真に迫った「リアルな冒険」を楽しむことができるようになっている。
この「運」という概念において、ファイティング・ファンタジー・シリーズではキャラクターの特性ないしは属性(能力値)として運点が設定されているのだが、これではプレイヤー自身の「本当の運」がどこで生かされるのかという問題に直面する。この問題にダイレクトに解答を与えうるのが、「右へ行くか、左へ行くか」が単に並列的に(つまり、何のヒントもなく)提示される選択肢と言っていいかも知れない。つまり、どちらへ行くかは全く「プレイヤーの運次第」という理屈である。『恐怖の神殿』では、序盤の何気ないルートの選択によってクリアの可否がダイレクトに影響していたり、その他の作品でも道を一つ間違えただけで即死したりする(あるいは、単にアイテムを拾っただけで即死する)という罠が、特にリビングストンの作品では豊穣に見られるような気がする。
このようなシステムを「偶発的なイベント」として楽しめるかどうかは、結局のところプレイヤーの好みに一任するしかないが、少なくとも『スーパー・ブラックオニキス』においてはこの手の「運」の要素は皆無である。練りに練られたイベント群を、提示されたヒントを手がかりに周到に分析していく手法が要求される。そもそも、場当たり的なプレイではクリア(ブラックオニキスを見つけ出す)は不可能だろう。徹底してやり込んだプレイができる反面、ライトで気軽なプレイヤーには向かないとも言える。
こうした物語全体にまで広がった謎解きに加え、マサイヤとの一騎打ちや憎々しい黒騎士たちとの絡み、タラミスの磔刑を阻止して救出するシーンなど、映画を観ているような展開が重厚に広がっている。ゲーム的な側面と同じく、ストーリー的(小説的)な意味でも無駄が極力削ぎ落とされ、物語に深みを与えている。
更にとどめを刺すように、主人公たちにもキャラクター的な個性の魅力が満載である。既に『魔界の滅亡』で魅力的なキャラクターを創造することに長けていることを証明して見せた鈴木直人だが、ここでは俯瞰的・客観的な登場人物だけでなく、能動的に絡み合ってくるキャラクターに加えて、主人公自体にも個性を持たせているのだ。
これは国産品のゲームブックの特徴とも言えるが、ここまで徹底的にキャラクターを大事にする手法は、やはり鈴木直人の諸作品が頭一つ抜けている。例えば『ゼビウス』のP・J、『ドラゴンバスター』のクロービス、そして『ネバーランドのリンゴ』のティルトなどもその個性が遺憾なく発揮されているが、『スーパー・ブラックオニキス』ではキャラクターの魅力が他の作品よりもいっそう際立っているように思われる。テンペストの狂戦士ぶり、バムブーラの愛嬌、シモンの冷静さ、そしてタラミスの屈託のなさといった魅力満載のキャラクターになりきる(ロールプレイする)楽しさがある。
おそらく鈴木直人は、ジャクソンの「ソーサリー」やリビングストンの『死のワナの地下迷宮』のように、自身の集大成として『スーパー・ブラックオニキス』を完成させたのだろう。この「魅力的なキャラクターの操作」という点は、後の鈴木直人の作品の特徴ともなっていく。次章では、突き抜けたキャラクターという点から鈴木直人のゲームブックを見てみよう。
※次回は「鈴木直人の世界(その2)」と題して、「メスロン・サーガ」シリーズを中心に扱います。
◆書誌情報
『スーパー・ブラックオニキス』
鈴木直人(著)
東京創元社(1987/12/24)絶版
『ブラックオニキス・リビルド』
幻想迷宮ゲームブック(Kindle版)(2017/12/21)
■参考文献
『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(上)(下)
樋口明雄(著)
双葉文庫(1987/9/1)絶版
『さまよえる宇宙船』
スティーブ・ジャクソン(著)浅羽莢子(訳)
社会思想社(1985/9/20)絶版
SBクリエイティブ(2025/2/19)安田均(訳)
『海賊船バンシー号』
アンドリュー・チャップマン(著)鎌田三平(訳)
社会思想社(1987/3/25)絶版
『ファイティング・ファンタジー ゲームブックの楽しみ方』
安田均(著)
社会思想社(1990/8/1)絶版
ドルアーガの塔 第一巻『悪魔に魅せられし者』
鈴木直人(著)
東京創元社(1986/7/31)絶版
創土社(2006/12/29)絶版
幻想迷宮ゲームブック(Kindle版)(2016/3/1)
ドルアーガの塔 第三巻『魔界の滅亡』
鈴木直人(著)
東京創元社(1986/12/21)絶版
創土社(2013/11/23)絶版
幻想迷宮ゲームブック(Kindle版)(2016/3/1)
『盗賊都市』
イアン・リビングストン(著)喜多元子(訳)
社会思想社(1985/10/20)絶版
SBクリエイティブ(再生産版) こあらだまり(訳)(2024/3/28)
『恐怖の神殿』
イアン・リビングストン(著)浅羽莢子(訳)
社会思想社(1987/1/30)絶版
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