2026年6月18日、ハヤカワ文庫JAのアンソロジー『ショートショートなSF』に、岡和田晃の小説「十四(カトルセ)」が掲載されます。小説が文庫本に入るのは初めてなのですが、同作は「ナイトランド・クォータリー」Vol.40の拙作「メリュジーヌ」、同Vol.42の「屍衣(モルタハ)」などとも共通する舞台を扱ったものです。 今回はそのうち、一作を「FT新聞」の皆さまにもお披露目をします。お愉しみください。 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● 覚悟(デテルミナシオン) 岡和田晃 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● 深呼吸し、自分のこめかみに回転式拳銃(レボールベル)の銃口を当てた。そのまま、ゆっくり引き金を引く。 ——地獄の業火のごとき、焼けつく痛み! 未曾有の苦悶に見舞われ、それは永劫であるかに思われた。暫時、まぶしい光がきらめき、世界が純白に覆われた。これで計画は完成する。意識の持続が断ち切れる寸前、まったき孤独のさなか、してやったりと、北叟(ほくそ)笑んだ。 一瞬と永劫の狭間で、来し方を想起する。すべては予測されていた。準備万端だった。あらかじめ、自分の埋葬される墓所と墓石は用意しておいた。一九一〇年と、没年すら入れておく念の入れようを、誰かに褒めてほしいくらいだ。 人は生まれる時代と場所を、自分で決めることはかなわない。だが、自分がいつ、どこで死ぬのかは、好きに決められる。自由を買うには、相応の金(ペソ)が必要だ。金さえあれば、うまい食い物も、快適な住居も、綺麗な女も、ぜんぶがぜんぶ思いのままだ。だが、いくら金を稼いでも、死んでしまえばそれっきり。地獄の沙汰も金次第とはよく言うものだ。 日曜日には墓場近くの教会(バシリカ・ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラル)に、いまは亡き両親に連れられて通ったものだが、幼い時分から、よく説教をされてきた。 曰く、「美(うま)し風」と呼ばれるこの街において、二番目に旧い由緒ある教会に、皆々様は集っておるのです……。 曰く、神の館は、皆様の喜捨によって支えられているのです……。 曰く、無私なる浄財こそが、聖なる家を清めるもので、それがあるからこそ、正しく御霊(みたま)の声を届けられるのです……云々。 それゆえ爪に火を灯す覚悟で、彼は節制を続けたのだった。説教のみならず、他人からの助言には、素直に従う彼だったのである。 最低限の教育を卒えると、集合住宅(コンベンティージョ)で、貧民や移民連中と肩を寄せ合い、暮らしてきた。懐中の一ペソ、マッチ一本さえも惜しみながら、あらゆる欲を振り捨て、与えられた職務に忠実に、ひたすら刻苦精励してきたのだ。 ただ、人と違うのは、十六(ディエシセイス)のときから、「美し風」と呼ばれるこの街で、墓守(グアルディアン・デル・セメンテリオ)として働いてきたことだ。 もともと、職場でもあるこの墓所は、街の名士が眠る場所で、神話の神々や清純なる乙女を象った彫像や、不埒な闖入者を威嚇する怪物像などが、あちこちに居並んでいる。大理石を切り出し、贅を凝らした豪奢な墓石。地下深く、静寂のうちに横たえられた棺。参拝者たちが持参した、色とりどりの花束や飲食物——整然と区画整備が進められながら、初めて訪れる者には迷宮のような印象を与えるこの場所で、アリアドネの巻糸のごとくに目印になるのが、それらの供え物である。 一方で、何らかの理由で管理する遺族と切れてしまったのか、訪れる者もなく、荒れ放題に任された墓もなかにはある。そんな、遺族のみならず世界そのものからも見棄てられたがごとき場所を気遣い、墓室に巡らされた蜘蛛の巣を掃除し、埃を払い、がたついた銘板を直す。昇降機の具合をしっかり確かめ、遺体の安眠が妨げられないように腐心するのだ。彼は、余計なおしゃべりに気を取られることなく、黙々と作業を続けられる、この仕事が気に入っていた。 昼間、墓所は誰にでも開かれており、訪れる者の階層を問わない。が、夜には侵入者を警戒し、相応の警備体制が敷かれてはいる。彼も、毎週の夜番の際に、巡回の頭数に入れられたのだが、見回りを行う際、墓所の出入り口付近で、不審な者を見かけることがままあった。 日銭を使い果たした飲んだくれの宿無し、では何らない。場違いなまでに輝く純白の屍衣(モルタハ)を身にまとった、うら若き女性がいたのだ——しかし、顔は翳に覆われ、見えそうで見えない。夜風に紛れて、軽やかな笑い声を耳にしたような気がした。他の墓守は気づかないのか、見ざる聞かざるの塩梅なのだが。 幽霊の噂があるのは知っていた。だが、幾度となく見かけるうちに、彼女の正体なぞ、どうでもいいじゃないかと思えてきた。限りある肉体に自分を閉じ込めているのが、彼自身としても。心底、馬鹿馬鹿しかったからである。 野暮ったい作業服に、じゃらじゃらと煩い鍵束。ケロシン灯(ファロル・デ・ケロセーノ)の乏しい明かりが、よどんだ灰色の空間を照らし出している。いまのところ、彼がいるのは、明るく照らされたわずかな空間の方なのだが、むしろ、昏く広がる無窮の暗黒空間の側にこそ居場所があるとの確信を、少しずつ育んできた彼なのである。 彼女はこの墓所にて安寧を享受しながら、風に乗り、どこにでも飛び立って行き、好きなときに舞い戻ってこられるではないか。翻って、彼はどうなのか。自由が欲しいわけではなかった。決まり切った毎日の作業を永遠に繰り返し、むしろ、そのことで、来るべき審判の日を繰り延べていきたいと願っていたのである。ちっぽけな自分を、受け止めてもらえる避難所がほしいという以上の望みはなかった。 ——だからこそ、彼はひとまず、自分の現在と未来に、自分で決着をつけることにしたのだった。 皮肉なことに、きっかけは、まさに金であった。兄が偶然、馬車での事故に遭う可能性の方が当選確率よりも高いと揶揄される富くじに当たった。墓守の仕事では、何十年かかっても貯められそうにない額ではある。この手の富くじで、本当に当選者が出ることに、彼は驚いたものだった。兄は兄で、お大尽気分になったのか、「家族間に妬みが生じてはならないからな」とうそぶき、当選金の一部を彼にも頒(わけ)てくれた。 墓守仲間なら、「これで遊んで暮らせる」と、潔く職を辞するだろうが、彼に限っては違った。この金を使い、一路、イタリアへ飛んで、墓所へ納品する像を、よく彫っていた職人に直談判し、自分の像を彫ってもらうべく頼んだのだ。 初めて訪れるイタリアの地は、「美し風」の街より、ずっと暖かで南方らしく思えた。文芸復興期の面影がそこかしこに残り、かの文豪ゲーテも讃えた名高い歌劇場や、古代に剣闘士奴隷や猛獣たちが血を流した円形闘技場の規模にも圧倒された。文才があれば、紀行文のひとつでもしたためたろう。ただ、光に満ちたその場所へ赴くと、自分の卑小さが際立つように思えてならず、局外者だとの感覚はいっそう強くなった。 例外は、文芸復興期の名匠の手になるダヴィド像を目にしたときだ。雷に撃たれたがごとき衝撃が走った。職人には、わざわざ名指しで、その像を意識するように頼んだ。美化がすぎては、死後の笑いものになってしまうから、墓守らしい俗っぽさを出してもらうように頼んだのだ。 仕上がりは満足の行くものだった。ゆえに彼は、手ずから享年を刻んだ。「美し風」の街では、古代エジプトの調査が流行っている。魂が永遠だと信じたファラオたちは、死後に失われないよう肉体を特殊な処置で木乃伊(ミイラ)化させたが、彼が思い描いていたのもそれだった。 職人への支払いを行い、完成した像を故郷の街へと輸送するので、財産の大半は使い果たしてしまったが、またもや貧乏へ舞い戻ってしまっても、内心は深く満たされていた。 彼はいよいよ、ゴリアテへ対峙したダヴィドのごとき緊張感に包まれていた。計画を決行に移し、すべてを完成させるのだ。永劫の墓守になることに決めたと遺書にしたため、像をどこに設置するのか、向きをどうするのかという点まで、細々と指示を出した。人々の邪魔にならず、なるべく広い場所を見渡せる位置を、彼はよくよく知悉していた。 ——あとは、決行するのみ! 悔いはなかった。この墓所が、いやこの街が続く限り、彼の名は忘れられず、畏怖の対象となるだろう。もしかしたら、愚行の極みと嗤われるかもしれないが、それでも、異分子としての彼は、日常を非日常へ変えた存在として、語る者の心中に記憶されるだろう。 カチ、リ。 回転式拳銃の音。しかし銃口は火を吹かなかった。彼としたことが、弾を入れ忘れていたのだ! それでは、確かに感じた、はずの、あの灼かれるような苦痛は何だったのか? もしかして彼は、死後に自分の愚行を激しく悔み、神の慈悲にすがりついて、いまいちど、人生をやり直そうとしたのではなかったか? 回転木馬(カルーセル)のごとくに遡る記憶の奔流が、今生とは異なる別の生の記憶の扉を開けてしまった。そうではないか? 人は、死から逆算する形でしか未来を策定できない。なのに、過ちを繰り返す。反復される死を介しても何ら学びを得なかった彼は、今度という今度は救済を拒まれ、繰り延べられた生への屈従を、厳罰として与えられてしまったのではないのか。 わなわなと手を震わせ、その場に跪く。これから、彼は生に向けて歩まねばならない。他者の罪過を背負い、死へと向かっていった、あのお方とは真逆に——。 永く続くだろう余生を受け止めきれず、彼は泣きに泣いた。 【note】本作は、アルゼンチン・ブエノスアイレス市内のレコレータ墓地に伝わるダヴィド・アジェーノの伝承から着想していますが、その評伝を目指したわけではありません。 初出:「Current」2号(Currentの会)、2026年4月10日 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● ■今日の新聞に対するお便りはコチラ! ぜひ、ご感想・お叱りなど一言ご意見ください。m(_ _)m ↓ https://ftbooks.xyz/ftshinbun/report 【FT新聞・バックナンバー保管庫】 *2週間前までの配信記事が閲覧可能です。 https://ftnews-archive.blogspot.com/ 【FT新聞のKindle版バックナンバー】 *kindle読み放題また有料購入が可能です。 https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/entity/author/B00OYN7Z84 ■FT新聞をお友達にご紹介ください! https://ftbooks.xyz/ftshinbun ---------------------------------------------------------------- メールマガジン【FT新聞】 編集: 水波流、葉山海月、中山将平、明日槇悠、天狗ろむ、くろやなぎ 発行責任者: 杉本=ヨハネ (FT書房) ホームページ: https://ftbooks.xyz/ メールアドレス: sugimotojohn■■hotmail.com(■■を@に置き換えてください) ---------------------------------------------------------------- メルマガ解除はこちら https://ftbooks.xyz/acmailer/reg.cgi?reg=del&email=ryu00minami.2026ft0409news@blogger.com ※飛び先でワンクリックで解除されます。