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『スーパーアドベンチャーゲームがよくわかる本』 vol.7
(田林洋一)
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FT新聞の読者のあなた、こんにちは、田林洋一です。
全13回を予定しております東京創元社から出版されたゲームブックの解説「SAGBがよくわかる本」、7回目の記事を配信いたします。今回は前回に引き続き鈴木直人の作品である、「メスロン・サーガ」シリーズを中心に扱います。
なお、本連載はSAGBとして東京創元社版のみを検討・分析する記事とさせて頂いておりますので、後に別会社から出版された復刻版・改訂版などについては取り上げていないことを予めお断りいたします。
本連載は「名作」と呼ばれるものを最初に集中的に扱っている関係上、連載の後半になるに従って厳しい批評が多くなりますこと、ご寛恕ください。作品そのものを全否定する意図は全くないことをご理解いただければと思います。「私はそうは思わない」という感想がございましたら、ぜひともお寄せいただければ嬉しく思います。
毎回の私事ではありますが、アマゾンにてファンタジー小説『セイバーズ・クロニクル』とそのスピンオフのゲームブック『クレージュ・サーガ』を上梓しておりますので、そちらもご覧いただければ嬉しく思います。なお、『クレージュ・サーガ』はこの記事の連載開始後に品切れになりました。ご購入くださった方には、この場を借りてお礼申し上げます。
『セイバーズ・クロニクル』https://x.gd/ScbC7
『クレージュ・サーガ』https://x.gd/qfsa0
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7.キャラクター・ゲームブックの白眉 -鈴木直人の世界(その2)
主な言及作品:『パンタクル』(1989)『ティーンズ・パンタクル』(1990)
『パンタクル2』(1991)
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第6回で鈴木直人の作品群はキャラクターが際立っていると述べたが、『パンタクル』をはじめとするメスロン・サーガ(アドベンチャラーズ・イン16号及び17号より)は、元々「ドルアーガの塔」三部作に登場した少年魔道士メスロンを主役に「昇格」させた作品であり、まずはじめに「キャラクターあり」になっている。ファミコンソフトを原作とした作品を多く扱っているSAGBにおいては(そして双葉社などの諸作品でも)先に個性的なキャラクターを読者に提示して「あなたの分身」とすることがとりわけ多い。メスロンは鈴木直人のオリジナルのキャラクターであり、その意味ではファミコンソフトをはじめとした「原作」の設定を踏襲しているわけではなく、作者の力量(ここでは魅力的なキャラクターの創造)が遺憾なく発揮されていると言っていいだろう。前作『スーパー・ブラックオニキス』で見せたゲームシステムとストーリー展開の素晴らしさは、メスロン・サーガでも健在である。まずは『パンタクル』から見よう。
森の国シャンバラーに突如起こった天変地異が鬼たちの仕業だと知った国王セフィロトは、三人の王子に遺言を託した。「如意宝珠を探し出して、谷に投げ込んで国を救うのだ。私は息子を四人とも愛していたのに」と。四男のケセド王子は愛馬アドニラムに乗って鬼哭谷に向かう。道中で知り合った医師ミンダルカムイと旅を続ける途中、ミンダルカムイはわざと吊り橋の綱を切ってケセド王子を鬼哭谷に渡らせまいとした。ミンダルカムイこそがセフィロトの第二王子で、シャンバラーを追われたメスロンその人だったのだ。メスロンは黒魔術を使うのに必要なパンタクルと、長剣鬼麻呂を装備して、一人で如意宝珠を探し出すことを決意する……。
『パンタクル』はこのような背景からスタートするが、基本的には一人旅で如意宝珠を見つけるために鬼哭谷を探索する、という、冒険の旅としては王道的な使命に従事する。冒頭でメスロンが王国から追放された王子という衝撃的な過去がいきなり明かされるが、メスロンがいる世界は西洋ではなく東洋世界のようである。『パンタクル』では登場してくる敵がほとんど密教を背景にした世界の鬼神たちであり、「ドルアーガの塔」第二巻『魔宮の勇者たち』で、メスロンが主人公ギルガメスに「東洋魔術に詳しい」と語ったように、パンタクル(万能章)を使った魔術も全て漢字で表記されている。「ソーサリー」のように日本人にとっては意味が取りづらいアルファベット三文字(ZAPやDUM、NIFなど)を覚える必要はなく、例えば火や熱に関する魔法であれば「火界」(かかい)や「阿知地」(あちち)などと表記されているので、魔法を使いこなすのは比較的容易い。
『パンタクル』をゲーム的に優れたものにしているのが、作品名にもなっている万能章ことパンタクルを用いた魔法システムである。パンタクルとは、メスロンの手袋の甲に取りつけられた蜜蝋で作られた円形の護符のことで、本作では彼が魔法の力を発現するのに必要な道具として扱われる。
ゲームスタート時に十五の魔法が用意されているが、この作品には選択肢による魔法の制限がない。つまり、いかなる時でも常に十五(以上)の魔法を使用することができる画期的なシステムを取り入れている。ある番地で「パンタクルを使ってよい」と指示された場合、プレイヤーはその番地を記憶した上で、魔法に付されている番地に飛ぶ。そこで記憶した番地を探し出し、魔法が成功したかどうかが判定できるのである。
例えば二一五番地で「魔防道風(まぼうどうふう)」(敵の防具ポイントをゼロにする)の魔法を使いたいと思ったら、「魔防道風」には三五〇という番号が付されているので、プレイヤーは二一五番を記憶した上で三五〇番地にジャンプする。その番地で「二一五番地の魔法の結果」を探し出して、その結果の記述を読む。つまり、記憶した番地ごとに魔法が成功したか失敗したかのリストが掲載されている、という仕掛けになっているのだ。この卓越したシステムによって十五の魔法をいかなる場面でも使えることができるようになっている。
魔法の威力も、予想通りの効果を発揮するものから意外な結果を呼び起こすものまで多岐に渡り、「魔法の神秘性」と「効果の意外性」が極めて高いレベルで保持されている。
番地をいたずらに消費することなく、最初から十五の魔法を五十箇所で自由自在に操れるというのは、TRPG「トンネルズ&トロールズ」のソロアドベンチャー作品(ゲームブックと同形式で、社会思想社から多数出版されていた)のマトリックス表(早見表)を彷彿とさせるが、ここまでゲーム的に自由が利き、そしてストーリー的にも無駄がないシステムは刮目に値する。従来のゲームブックには、ここまで自由度が高い魔法の使用システムは存在しなかった。「ソーサリー」ですら、一度に選択できる魔法は常に五つである。傑作小説『ドラゴンランス戦記』の外伝的位置づけであるゲームブック『ウェイレスの大魔術師』(富士見文庫)では、結果早見表を採用して魔法の選択の自由度を担保しているが、魔法を唱えられる箇所が非常に限定されているという側面があった。
この「自由に魔法が使える」というのが『パンタクル』の主な売りともなっており、その他にも魔法を唱えると体力ポイントの代わりに魔力ポイントを消費する点など、目新しい点を豊富に備えている。例えば鹿茸(ろくじょう)という体力回復の魔法があり、魔力ポイントを二ポイント消費すると、体力ポイントが六ポイント増えるなどの仕様は、物理的な力と精神的・知的な力を峻別する効果的な工夫だろう。更に言えば、「魔法のパワーアップバージョン」も存在し、先の「魔防道風」の次は「魔防那須(まぼうなす)」などの強化版が用意されている。作者が「あとがき」でも述べているように、こうした発展形を楽しむという遊び心も備えていて、『パンタクル』の魔法システムは随一の出来と言っていい。
『パンタクル』は、「ドルアーガの塔」三部作の第一巻『悪魔に魅せられし者』に似て、双方向移動を採用していながら、ある一定のルートをワンウェイで通るようになっている。鬼哭谷全体が広大なマップになっているのだが、それがちょうどいくつかの部分に区分けされていて、その区分けの順に通り抜ける形になっているのだ。この「区分け」は、『パンタクル』が成長ルールを取り入れていることにも理由があるのだろう。鬼哭谷全体を最初から行き来できてしまうと、どうしてもストーリー的に齟齬が生じることもあるし、また、ほぼ初期状態の主人公がいきなり強敵にぶつかってしまうこともありうる。それを防ぐためには、ある程度通行の幅に抑制を利かせて物語の繋がりと成長ルールの質を保持しつつ、全体として単方向的なイメージを持たせながらも双方向的な自由な探索ができるようにするのが最も効率がいい。
双方向移動の常として、鈴木直人は経験記号という『スーパー・ブラックオニキス』におけるチェックリストと同じものを採用しているが、敵を倒すと漢字の経験記号が与えられ、それが八個溜まると能力値をアップできるという「ドルアーガの塔」の経験値システムも同時に使用している。つまり、経験記号によって、経験値とフラグ管理の両方ができるように配慮してあるのだ。この記号には言わば機能が二種類備わっているわけだが、その他のイベントのフラグ管理(数字やアルファベットの経験記号で表される)も同時に行うことで、漢字の経験記号をいちいち数えていくのは時として混乱を招くかもしれない。ややもすると埋没している漢字の経験記号を、しかも重複を許さないように探していくのは意外に骨が折れる。もっとも、先に述べたように「双方向のマップを単方向的に通っていく」ルートが採用されているため、漢字記号が重複することはほとんどない。
なおこの点について、創土社版及び幻想迷宮ゲームブック版の『パンタクル』では、アドベンチャーシートに経験記号のリストが記載されている。SAGB版ではネックだった「記号が整理しづらい」箇所が後に改善されたのは、かなり大きな変更だろう。
続いて、白兵戦の戦闘ルールを概観しよう。剣(鬼麻呂)による白兵戦の戦闘は「ファイティング・ファンタジー・シリーズ」(より正確に言えば、「ドルアーガの塔」シリーズ)を踏襲しており、プレイヤーにルール的な負担がかからないようにしている。まず自分の技量ポイントと武器ポイントを足した値を「攻撃力」、技量ポイントと防具ポイントを足した値を「防御力」と分け、それぞれのラウンドごとに攻守が交代するのは「ドルアーガの塔」の戦闘システムと類似している。
その一方で、「ファイティング・ファンタジー・シリーズ」に特徴的な「運点」も採用しており、なんと運ポイントによる戦闘中の運だめし(戦闘中にサイコロを二個振って、出た目が運ポイントよりも少なければ追加ダメージを与えられたり、逆に負った傷を軽くできたりするルール)まで取り入れているのだ。さすがに鈴木直人も模倣したと思ったのか、「このルールは大巨匠スティーブ・ジャクソン氏の作品と偶然にも(!?)同じです」などと説明しているが(『パンタクル』ルール説明)、そんな言い訳をせずとも、十分にオリジナリティは発揮できているように思われる。その証拠に、『パンタクル』を「ファイティング・ファンタジー・シリーズの剽窃」とする意見はほぼ皆無だからだ。
ともあれ、白兵戦における戦闘システムで負荷をかけないようにしつつ、戦闘だけでなく至るところで大活躍する(そしてそもそも効果的に使用しなければクリアできない)パンタクルによる魔法の新システムによって、『パンタクル』はゲーム的には『スーパー・ブラックオニキス』と並ぶ傑作になった。特に魔法の自由度と物語的な効果のバランスは見事で、単にゲーム的・数値的になりがちなシステムでありながらも、魔法を唱えるたびごとに叙述される幻惑的なストーリーに魅了されることは間違いない。
例えば、「煩悩魔入道」という鬼の姦計に嵌ってメスロンが落とし穴に落ちるというイベントがあるのだが、落とし穴の入口は錠前のついた鉄格子でふさがれており、普通なら脱出することは不可能である。ここで(本来ならば戦闘でのみ有効とみなされている)敵の武器を熱くすることができる魔法「阿知地」を唱えると、鬼は持っていた鍵を取り落としてしまい、メスロンは見事落とし穴を脱出することができるのだ。落とし穴脱出後の煩悩魔入道との戦闘では、それこそ悪逆非道の敵を叩き切るという、得も言われぬ気分を味わうことができる。
魔法を効果的に使うことによって得られる「してやったり」の爽快感はいかにも天才魔道士メスロンの面目躍如で、このイベントだけでなく、方々でこうした「魔術の才」を体験することができる。
システムに続いて、物語性にも目を向けてみよう。個性的な(サブ)キャラクターという点では、例えば狂戦士クルス(「ドルアーガの塔」)や四人のパーティメンバー(『スーパー・ブラックオニキス』)に匹敵するような恐ろしげで、そして憎々しい鬼たちが出現する。具体的には、秘宝「如意宝珠」を掠め取ろうと画策する盗賊中陰童子のいかにもな小物感は、それだけでプレイヤーに何とかしてこの敵を出し抜いてとっちめてやりたいという闘争心を煽られる。また、序盤に登場する中ボスで自信過剰な夜叉との頭脳戦などでは、手に汗握る戦いを思う存分堪能することができるだろう。更に、中盤のボス摩喉羅迦(まごらか:喉は目へんに「喉」のつくり)との呪術戦や、美しい娘の姿をした鬼の(!)味方迦陵頻(がりょうびん)の手助けなど、「魅力的なイベント(登場人物)」も満載である。
もっとも、『パンタクル』は主人公メスロンが元々「ドルアーガの塔」の登場人物であったことと、目的が最初から比較的はっきりしているせいか、いわゆる「山場」の盛り上がりがやや弱いように感じられる。『魔界の滅亡』におけるドルアーガや、『スーパー・ブラックオニキス』のマサイヤのように、ドラマチックかつ凶悪な敵が少ないのである。ラスボスの阿修羅も物語的な下地(伏線)がなく、いかにも突然に登場してくるように思える。ストーリーという点でも、プロローグ(と最後)にだけ現れるケセド王子は、冒険の途中で主人公に絡むことは一切なく、ストーリー的に存在感が希薄なのは否めない。
だが、これもいわゆる程度問題ないしは読者の好みに左右されるところが大きく、シャンバラー王国を背景にしたメスロンの出生の秘密が明らかになるところなどは、物語的にも素晴らしい効果を上げている。更に随所で一癖も二癖もある鬼たちが強烈な個性を光らせながら(時に憎らしげに)登場するシーンなどは、それだけでサイコロを振る手に力が入る。特に、先に挙げた摩喉羅迦(まごらか)との戦いで、客死した弟王子ビナーの剣である鬼郎を振りかざしながら「ビナー! 力を貸してくれ!!」と叫ぶシーンは、それだけで胸熱な展開である。舞台も空中あり、野原あり、迷宮ありとバラエティに富んでおり、全く飽きさせることがない。また、美しい日本語で語られる物語は、それだけで読者に感動を与えるだろう。
その後、『パンタクル』の突出したゲーム性と呼応し、かつ補完するように『ティーンズ・パンタクル』が発表された。この作品は、上質の小説としても読めるほどの高い文学性を備えており、卓越した文章能力(ストーリー性)は惜しげもなく発揮されている。その反面、『パンタクル』に比べるとゲーム性という点ではシンプルである(それでもゲーム的な洗練度は非常に高いのだが)。完成度という点では『パンタクル』にも匹敵しうるこの傑作も検討してみよう。
洋貝台学園(ようかいだいがくえん)に転校して充実した学園生活を送る主人公大島いずみ(「あたし」)は、突出した剣道の腕前の他に、念力を操る力も持っていた。ある日、氷室京子という絶世の美女が転校してきてから、不思議な事件が学園内で勃発し始める。彼女が学園の関係者を拉致してレプリカンという妖怪とすり替えていることを知ったいずみは、その阻止のために魔道士メスロンを召喚するのだが……。
一見するとジュブナイルタッチのライトノベル風に始まる「学園物」のストーリー展開だが、内容は濃い。まず素晴らしいのは、鈴木直人も「あとがき」で述べているように、「覚えておくべき記号や数字」というフラグ管理をうまく利用して、学園内で起こるイベントをほぼ全て体験できるという支えが挙げられるだろう。通常、分岐型のゲームブックでは、例えば「右に行くか、左に行くか」という分岐に「左に行く」と選択したら、「右に行った時に起こるであろうイベント」は原理的に体験できない仕組みになっている(ゲームブックが単方向移動の仕組みを採用している場合)。「右に行く」という選択肢は可能世界、いわばパラレルワールドの世界として読者からは見えないところに葬り去られるのだ。双方向型のゲームブックでは「パラレルワールドにおけるイベント」はもう少し少なくて済むが、それでも「IF」が常に残ることは避けられない。
『ティーンズ・パンタクル』では、イベントをフラグ管理することによって「その日に出遭わなかった事件や人などを翌日に繰り延べてしまうという双方向的荒業」(「あとがき」より)を実現させた。これによって、無駄になった(体験されない)イベントが激減し、単なる四〇〇パラグラフのゲームブック以上にこの作品を奥深く見せることに成功している。ゲーム自体は「ドルアーガの塔」三部作や『パンタクル』と違って単方向移動で、マッピングの必要もないため、気軽に楽しめる一方でそのストーリー的な奥深さに感動するだろう。
実際、『スーパー・ブラックオニキス』や『パンタクル』などはかなり重厚な内容のため、ゲームをスタートさせるのに相当な覚悟を必要とする。マッピングの手間に加えて、練り上げられたストーリーと謎解きを理解しクリアするためには、どうしてもメモや方眼紙片手に「真面目に」取り組まないといけないからだ。ファイティング・ファンタジー・シリーズが海外で(そして日本でも)絶賛の嵐を受けて迎えられているのは、どっぷりとした重量級のゲームブックではなく、敢えて言えば「各巻を通して基本的に同じルールで遊べる」など、(分量的にも)手軽に楽しめるという取っ掛かりのしやすさがあるからだろう。
「ソーサリー」が時に再読不能と称されるのは、「感動を追体験できないのはそのボリューム性にあるのではないか」という分析が安田均によってなされているが(『ファイティング・ファンタジー・ゲームブックの楽しみ方』p. 84)、「ドルアーガの塔」や『パンタクル』も物語の質的なボリューム性という点では負けていない。それに比例するように、例えば『魔界の滅亡』や『スーパー・ブラックオニキス』は文庫書籍としてもかなり分厚く、読者が空いている時間においそれとプレイするわけにはいかない「荘厳さ」を兼ね備えている。
もちろん、壮大なストーリーと緻密なゲーム性がたっぷりと詰まったゲームブックを本腰を入れてプレイすることでゲームブックの醍醐味は十分に味わえるだろう。しかし、「重い」ゲームブックはどうしても初心者にとって敷居が高いのも事実である。ボードゲームなどでも、何百枚ものカードやチップを使って、数時間に渡ってプレイする重量級のものがあれば、数十分で終わる軽量級のものも行き渡っているわけで、『ティーンズ・パンタクル』は見事にこの要請に応えていると言ってもいいだろう(この点では「デュマレスト・ゲームブック」と似るが、こちらは容量の分厚さと複雑なルールで、『ティーンズ・パンタクル』よりもゲーム的には難解になっている)。
この作品の凄いところは、こうして一見「軽く」作っているように見せかけておきながら、実は内部で緻密に計算された工夫が施されていることだろう。読者に負担をかけないように(このことは、ゲームブックの「とっかかりやすさ」にも繋がる)、尚且つ『スーパー・ブラックオニキス』や『パンタクル』で見せたように、計画的なヒントや情報をちりばめながら構成する力量は尋常ではない。『ティーンズ・パンタクル』にも、ジャクソンやリビングストンのゲームブックにありがちな「ノーヒントで強制される選択」がほぼない。忠実に場面や情報を追っていけば、必ずクリアできるという親切さが備わっていると言ってもいい。
先ほど、この作品は「ゲーム性という点ではシンプル」と述べたが、それは『パンタクル』の重厚なゲーム性やパズル性と比較してのことであって、むしろゲームブックの完成度という点では『ティーンズ・パンタクル』の方に軍配が上がるかもしれない。そして、それと呼応するように深みのあるストーリー展開は、これだけでも高いレベルでの文学作品としての価値を持つ。
例えばプロローグの「夏の終りはいつもほんの少し淋しい。」という情緒的かつ印象的な出だしは、最後のパラグラフに至って読者の胸を打つ余韻を残す。また、主人公を恋い慕う青年・鏡英一郎との交流と絆の結びつきは、中盤の「メスロン召喚」という盛り上がりで重要な役割を果たし、まさに小説的な高揚感を味わうことができる(ついでに言えば、ここで「学生服姿のメスロン」が見られるのはファン垂涎である)。
『パンタクル』でゲーム性を極限にまで高めたゲームブックを披露したと思ったら、今度はストーリー性と文学性でやはり非常に優れた『ティーンズ・パンタクル』を発表するところなどは、作者がただものでないことを如実に表していよう。
もっとも、鈴木直人は続編の『パンタクル2』や創土社から刊行された『チョコレートナイト』においては、ゲームブックの文学性(≒ストーリー性)という観点を更に突き詰める方向性から一転し、敢えて謎解きやパズル性に重点を置いているように感じられる。これは、この二作品が想定する読者のターゲットの違いにあるのかもしれない(因みに『パンタクル』あとがきで「『パンタクル』は上級者向けで、『パンタクル2』は中級者向け」と鈴木直人本人も断り書きを入れている)。
例えば『パンタクル2』は双方向のマップを縦横無尽に駆け回る手法が存分に生かされており、優れたゲーム性も健在であるが、ややもすると緊張感に欠ける会話があったり、その場のノリやギャグに走る文章があったりと、よく言えば自由気まま、悪く言えばおふざけになる一面も秘めている。ちょうどジャクソンがファイティング・ファンタジー・シリーズの一環としてパズル性の高い『モンスター誕生』を発表し、同時に物語性を前面に押し出す場として小説に移行したように、鈴木直人もこれまでの読者層とはまた違う層に向けてパズル性の強いゲームブックを作ろうと考え、『パンタクル2』を執筆したのではないだろうか。
『パンタクル2』はルールとしては『パンタクル』の魔法システムを採用しており、極めて高いレベルのゲーム性を誇る。その一方で、内輪ネタを散りばめた軽めの文体に表れているように、ストーリー性や文学性については自身の過去の作品ほど重視していないように思える。『スーパー・ブラックオニキス』で見せた重厚かつ濃密な世界観や描写が影を潜めているように感じられるのだ。また、主人公メスロンが覚える魔法は言わば「ジャンケン形式」で、ある魔法Aは魔法Bには勝つが、魔法Cには負ける、といった手法を用いている(これはおそらく『パンタクル』の中盤の魔術戦を取り入れたものだろう)。ところが、中盤から後半になると魔法のストーリー的な魅力は全く欠けるようになり、例えば「愛の呪い」や「力の呪い」、「風の術」といったネーミングだけが先行した「ただのジャンケンの手駒」に堕してしまう。
『パンタクル』の魔法がその神秘性とともにストーリー的にも味つけされているのに対して、ただゲームの(あるいは勝ち負けの)要素としてだけの「魔法」などは実は魔法でもなんでもなく、ただの記号である。もし鈴木直人が『パンタクル2』を執筆する際に初心者や低年齢層に向けて意図的なシンプル化を目指していたと仮定するならば、この簡略化は重厚な作品を求める(特に上級者の)読者にとっては残念なものになっていると言えるだろう。もっとも、相手の手を読んで魔法を適材適所で使う心理戦はゲームとしての質が非常に高く、また、見張りの水晶球をかいくぐって進むためにこちら側の才覚が要求されるところなどは「敵がよう動いとったで」(「あとがき」より)というコメントが的確なことを証明していよう。
さて、『チョコレートナイト』は、林友彦の一連のネバーランドシリーズの作品を彷彿させるように、主人公は人間ではなく妖精ファジー族を設定しており、ファンタジックな冒険が楽しめる。また、実際のプレイではイラストを用いたパズルやゲーム性に重点を置いている節が見受けられ、ゲームブック初心者でもすんなり入れるような敷居の低さがある。因みに、先の「ジャンケン形式」での勝ち負けも、「パンチ」「キック」「頭突き」という三つの攻撃手段のうち一つを選んで相手の反応を見るという戦闘方式としてしっかりと一部で取り入れられている。
しかしながら、ゲームやパズルでこれだけの素晴らしいこだわりがある一方で、どうしても描写力という点を鑑みると、『パンタクル』や『ティーンズ・パンタクル』とは別の方向性で書かれた作品のように感じられる。
洋の東西を問わず、ジャクソンと鈴木直人がゲームブック執筆において「ストーリー性」と「パズル性」の相克に苦労したのは、それがひとえにゲームブックという媒体の宿命であることを暗示している。
いずれにせよ、鈴木直人は日本で最も優れたゲームブック作家の一人と言えるが、惜しいことに『パンタクル2』の続編も出ていなければ、今後新たな作品が執筆される気配もない。この辺りは、日本でゲームブックというジャンルが中途半端に確立したまま衰退したことも影響しているのだろう。海外では六十巻以上もファイティング・ファンタジー・シリーズが刊行されたところを見ると、これはゲームブックという媒体の限界ということではなく、ゲームに対しての向き合い方や接し方の違いに収斂されるかもしれない。
ゲームやゲームブックを「所詮ゲームであり、ただの遊びである」と捉えるか、それとも「知的娯楽として大人も思い切り楽しむ媒体」と考えるか。こうした「ゲーム」や「遊び」をどの程度追求するかという読者の姿勢も、ゲームブックブームの浮沈や興亡に少なからず影響を与えたのだと思われる。
※第8回は「ワルキューレの冒険」シリーズ三部作を中心に扱います。
◆書誌情報
『パンタクル』
鈴木直人(著)
東京創元社(1989/7/28)絶版
創土社(2002/5/20)(『パンタクル1.01』)絶版
幻想迷宮ゲームブック(Kindle版)(2016/11/21)
『ティーンズ・パンタクル』
鈴木直人(著)
東京創元社(1990/3/9)絶版
幻想迷宮ゲームブック(Kindle版)(2017/3/21)
『パンタクル2』
鈴木直人(著)
東京創元社(1991/5/24)絶版
幻想迷宮ゲームブック(Kindle版)(2016/12/21)
■参考文献
『ウェイレスの大魔術師』
テリー・フィリップ(著)大出健(訳)
富士見文庫(1986/7/1)絶版
『チョコレートナイト』
鈴木直人(著)
創土社(2001/12/1)
『ファイティング・ファンタジー ゲームブックの楽しみ方』
安田均(著)
社会思想社(1990/8/1)絶版
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