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カエル人が教えてくれたファンタジー創作 第21回
「家畜」
(中山将平)
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おはようございます。イラストレーターの中山将平です。
今日の記事では、ファンタジー世界における「家畜」の話題を通して、僕が感じている「創作の骨組み」について語りたいと思います。
骨組みとは、つまり「方向性や着眼点」のことです。
自分自身がどのような想いで作品を創作しているのか、分析したことを書こうと思います。
この記事がファンタジーを楽しまれている方にとって役立つものになることを願っています。
それでは、早速詳しく見ていきましょう。
◆ ファンタジー創作の2つの最終目的
さて、ファンタジーの創作をすると一言で言っても、実は「最終目的」(脳内の想像をどのような形で、何を重視して出力するか)がどこにあるのか……というのは様々なのではないでしょうか。
例えばそれが「物語を作ること」という場合もあるかもしれません。
その場合、世界の設定を詳しく作りこまなくても、ファンタジー創作は十二分に成立すると思います。
「矛盾の少ない背景」よりも「物語としての面白さ」が優先されることは、想像に難くありません。
人物の心情の機微や目の前で起こる出来事のダイナミックさが楽しさの中心だと思うからです。
なぜその場所にいるのかわからないモンスターが突然現れたとしても、それが主人公たちにとって主観的な意味があるならばむしろ歓迎されるわけです。
一方で、「世界そのものを作りこみ、その場を物語という形で運営すること」が最終目的である場合もまたあるように感じられます。
この場合は、物語そのものと同じくらい世界の作りこみを楽しむことになると思われます。
僕はこちらの方の創作をより多くする傾向にあるのですが、奇妙なことに「世界の面白さが、物語の面白さにつながる」傾向を感じています。
それは、「冒険譚としての出来事」という意味合いではない「現実とは違った世界で起こる出来事」が意外と物語そのものに好影響を与えるからだと思っています。
上に書いた2つの「最終目的」はあくまで例ですが、他の場合と比べると、とても頻繁に見かけるものでもあると感じています。
もちろん、「物語を作ること」を最終目的として創作されていた作品に、様々な説明を付け加えて世界を豊かにする……という状況も見かける頻度が高いことは追記したいですが。
個人的には、前者は「小説」や「漫画」など基本的に主人公の体験を追っていくような作品と親和性が高い気がしています。
後者は望めば世界観を俯瞰視できるような作品……TRPG等の「ゲーム」と親和性の高さを感じています。
これらを踏まえたうえで、ファンタジー世界における「家畜」の創作に目を向けたいと思います。
◆ 個々の創作における3つの「基準」
「家畜」は今回一つの例にすぎませんが、世界の創作そのものに目を向けるなら到底無視できない要素ではないでしょうか。
いえ、ファンタジー世界のベースを「現実世界の過去の世界」に求めるのであれば、牛や豚が飼育されている状況が分かりやすいのは確かでしょう。
しかし、僕自身はこういった個々の創作に対していくつかの(具体的には3つの)「基準」を持っています。
この基準をなぜ設けているのか。
それは、前述の通り僕が「世界そのものを作りこみ、その場を物語という形で運営すること」を創作の主な最終目的としているためです。
目に入る出来るだけすべての要素に手を入れて「なぜそうなっているのか」を考え、世界そのものに息を吹き込みたいのです。
創作の細部に込められた工夫が心地よいものであることを、知ってしまっているともいえるかもしれません。
自分が「どうなっていれば楽しいと感じられるか」を追求した結果、「基準」が出来上がってきました。
その「基準」をクリアするように創作をしている、というのが、今日お伝えしたいことなのです。
どのような基準か、以下に簡潔にまとめてみたいと思います。
1 ファンタジックであること。
2 世界に対し小さなリアリティがあること
3 現実世界を歪に反映していること
この3つです。
それぞれについて、ここから見ていきましょう。
◆ ファンタジックであること
まずは、ファンタジックであること。
家畜を例としますと、単に牛や豚、鶏やヤギとかだけではなく、もっとファンタジーを感じられるものを設定したくなります。
これは、せっかく世界そのものを創作するなら、出来るだけ特別なものを作りたいという想いから現れているものかもしれません。
しかし、特殊すぎると「誰もついてこられない」恐れもあるので扱いには注意しなくてはならないと考えています。
具体的には、ファンタジーを感じる存在として既存のものをベースにすると落ち着くことを感じていました。
カエル人の創作では、オオガエル(時にファンタジーで見かける人を食べるサイズのカエル)やマンドラゴラ(伝承に出てくる方のタイプのもの)を家畜として設定しました。
新しすぎるものも一つ二つ入れるのはありだと思いますが、オリジナルファンタジー色を出す度合のバランスを常にはかりながらコントロ—ルしていくものなのだと思います。
ちなみにカエル人の世界フログワルドでは、アンデッド(主にスケルトン)を集落の労働力として使役する文化も創作しています。
これは家畜の話題とは少し違うかなと思いますので、また別の記事で扱うかもしれません。
◆ 世界に対し小さなリアリティがあること
次に挙げる基準は、世界に対して小さなリアリティがあること。
先ほどのカエル人の例を再び使うと、「カエル人の育てる家畜は両生類の方が飼育が容易に思える」というお話です。
カエル人にとっての馬のような存在として巨大陸生ウーパールーパーも設定しました。
世界の創作という大きな要素の中に、「細部」があることが輝くと信じています。
そしてその「細部」とは全体から想像したときにより「らしさ」があることだと思うのです。
結果として、各要素が逆に世界内での「土地柄」を表しそうです。
◆ 現実世界を歪に反映していること
最後に挙げる基準は、現実世界を歪に反映していること。
現実世界そのものを描くこととは違って、「歪であること」を特に強調したいと思っています。
カエル人の家畜の例を3度使いますと、オオガエルの肉は食用に、革は衣服に使われます。
カエル人にとってのオオガエルは、現実世界の人間にとっての牛などに相当するわけです。
このメタファーは「カエル人とオオガエルが人間目線では仲間の種族に見える」という点で皮肉にもなっています。
(カエル人の視点では、人間と牛も近い種族に見えるはずだという意味も込められています。)
ただし、現実世界のカエルは共食いをする生物であるため、カエル人がオオガエルを食べることはその投影にもなっているのです。
現実世界とは明らかに違う歪さを持ちながら、なお「現実的な」質感を残したいという願いが、このような設定を作らせたのだと分析しています。
◆ まとめ
今回は「家畜」を例に、僕がファンタジー創作に対して感じていることをまとめてみました。
実際、「世界そのものを作りこみ、その場を物語という形で運営する」ような創作は、多くの方と共に作っていきやすい傾向を感じています。
それが、僕の好きなことなのかもしれません。
では、今日はそろそろこのあたりで。
よきファンタジー・ライフを。
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