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2025年8月26日火曜日

『スーパーアドベンチャーゲームがよくわかる本』 vol.8 FT新聞 No.4598

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『スーパーアドベンチャーゲームがよくわかる本』 vol.8

 (田林洋一)
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 FT新聞の読者のあなた、こんにちは、田林洋一です。

 全13回を予定しております東京創元社から出版されたゲームブックの解説「SAGBがよくわかる本」、8回目の記事を配信いたします。今回は大作との呼び声高い「ワルキューレの冒険」シリーズを中心に扱います。

 本連載は「名作」と呼ばれるものを最初に集中的に扱っている関係上、連載の後半になるに従って厳しい批評が多くなりますこと、ご寛恕ください。特に今回は一部で厳しい評価をしておりますが、作品そのものを全否定する意図は全くないことをご理解いただければと思います。私自身はSAGBの全ての作品に思い入れがあります。批評に対して別の考え方がございましたら、ぜひとも感想やご意見をお寄せいただければ嬉しく思います。
 
 毎回の私事ではありますが、アマゾンにてファンタジー小説『セイバーズ・クロニクル』とそのスピンオフのゲームブック『クレージュ・サーガ』を上梓しておりますので、そちらもご覧いただければ嬉しく思います。なお、『クレージュ・サーガ』はこの記事の連載開始後に品切れになりました。ご購入くださった方には、この場を借りてお礼申し上げます。

『セイバーズ・クロニクル』https://x.gd/ScbC7
『クレージュ・サーガ』https://x.gd/qfsa0

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8.ゲーム性とストーリー性の相克 -「ワルキューレの冒険」

主な言及作品:『迷宮のドラゴン』(1988)『ピラミッドの謎』(1989)
『時の鍵の伝説』(1989)
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 「ワルキューレの冒険」は、『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』、『ドラゴンバスター』などの系列を組むナムコのファミコンソフトを原作としたゲームブックシリーズであるが、今までのナムコシリーズとは大きく異なる特徴がある。原作と同様にマーベルランドを支配する悪の化身ゾウナを倒すことに変わりはないが、プレイヤーはワルキューレに扮するのではなく、ワルキューレの冒険を手助けしようと一念発起して旅立つ若者になるのだ。この設定は、ナムコシリーズが原作ゲームの「ヒーロー」となって活躍することがほとんどであるのに比べて、ストーリー的に極めて斬新かつ野心的な挑戦である。
 読者であるプレイヤーは言わば「無色透明の君」を操作することになるわけで、この辺りは海外産の「ゴールデン・ドラゴン・シリーズ」において、自由に名前を決める欄が冒険記録用紙に設けられているのと同様に、「ワルキューレの冒険」シリーズのアドベンチャーシートにも「名前」欄が用意されている。
 
 まず、本作のゲーム的な特徴を概観しよう。ゲーム性かストーリー性かを巡る議論はゲームブックには常について回るが、「ワルキューレの冒険」は、おそらくその両方を射程に収めつつ、融合させようと腐心したのだろう。第一巻『迷宮のドラゴン』は単方向移動、第二巻『ピラミッドの謎』では前半は単方向移動、後半のピラミッドでは双方向移動、そして最終巻の『時の鍵の伝説』では最初こそ単方向移動だがメインは双方向移動と、ゲーム的に際立つ双方向移動と、ストーリーを引き立たせる効果を持つ単方向移動をそれぞれの巻ごとに取り入れている。
 フラグ管理も独自のシステムを採用しているが、『ネバーランドのリンゴ』や『パンタクル』のように割り切って記号管理システムを導入していない一方で、パラグラフ番号の上や段落の途中に描かれている空欄のボックスにXでチェックを入れたり、「体の部位に傷跡があるか否か」でイベントの成否を決めたりといった、できるだけ自然な、ある意味ではストーリーを破壊しないような工夫を凝らしている。
 もっとも、作者の本田成二は巻を進めるごとにゲーム性を重視しようと考えたようである。『迷宮のドラゴン』でのゲーム性と言えば、まず間違いなく主人公の成長システムと魔法だが、それに加えて『時の鍵の伝説』ではパーティ・コントロールという斬新なアイデアを取り入れている。それに合わせるように「パーティ記号」という欄がアドベンチャーシートに追加されたが、これは『迷宮のドラゴン』と『ピラミッドの謎』にはなかったシステムである。以下、「パーティ・コントロール」も含めた本作のゲームシステムについて検討したい。

 主人公の成長システムだが、経験値を十溜めるごとに技量ポイントなら一ポイント、原知力ポイント(魔法を唱える際に消費する、マジックポイントのようなもの)なら四ポイント加算することができる。「ドルアーガの塔」では、経験値を十溜めるごとに戦力ポイントを一ポイント上げることができたが、防御力ポイントには手をつけられなかった(上昇させたいと思ったプレイヤーも多いだろう)。よっていきおい「攻撃型のギル」が誕生することになるのだが、「ワルキューレの冒険」シリーズでは、『ピラミッドの謎』の「あとがき」にもあるように、主人公が技量ポイントが高い戦士タイプか、知力ポイントが高い魔法使いか、あるいは中道に育てていくかを選べるシステムになっている。

 主人公は初期状態では魔法を一切覚えておらず、また、魔法を使うには特定のアイテムが(ワルキューレを除いて)必ず必要になるのだが、魔法を習得するのにさして手間取ることはないだろう。魔法使いタイプに成長させたくとも魔法を覚えていない、あるいはアイテムがなくて魔法が唱えられない、という苦境には陥ることはまずない。例えば、体力を五ポイント増やす効果を持つ「薬の術」を使うためには「白い玉」を持っていなければならないのだが、何と(非常に高価ではあるが)白い玉は町のアイテムショップで普通に販売されているのだ。
 その他の魔法を唱える際に必要なアイテムも、いくつかのイベントをこなせば自然と入手できるものが多く、「ソーサリー」シリーズのように「必要な品がないため魔法がかからない」という事態はほぼ起こらない。更に、第二巻と第三巻の冒頭では既にいくつかの魔法とアイテムを習得したことになっており、前の巻を未プレイの読者にとっても入りやすい、親切な設計になっている。
 
 魔法の多くは原作のファミコンゲーム「ワルキューレの冒険」をおおよそ踏襲しており、例えば敵全体に大ダメージを与えることができる「稲妻の術」や、敵の動きを一時的に停止させることができる「星笛の術」など、特に戦闘の場面で絶大な効果を持つものが多い。戦闘シーンではほとんど全ての魔法を操ることができるというのも、ゲーム的な自由度という点で特筆に値する。
 ただ、魔法の力は極めて限定的で、巻を進めていくにつれて全く使用しない魔法も出てくるだろう。例えば「火の玉の術」は、知力ポイントを一消費する代わりに相手の体力を二ポイント削ることができるのだが、敵が強くなる後半戦では全く役に立たない。ちょうどファミコンゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズなどで、初期の攻撃魔法の一つであるギラが、終盤になるとまったく無用の長物になるのと似ている。

 また、魔法を唱えるごとにパラグラフ・ジャンプを行う必要があるのだが、これも中盤以降は完全な作業になりがちだ。元々パラグラフ・ジャンプには威力の高い魔法や謎解き、重大な手がかりやヒントなどの「特別感」があるはずだが、「ワルキューレの冒険」では戦闘シーンであればいつでも多彩な魔法を使える反面、些細な魔法でもいちいちパラグラフ・ジャンプをせねばならず、手間がかかる。本作の魔法は「項目番号に〇〇を足した項目へ進む」という形式をとっているため、魔法を唱えるたびに(単純ではあるが)飛び番地を計算をしなければならないというジレンマを抱えているからだ。中盤以降はほとんどの魔法を習得しているはずなので、かえってこの手間はプレイヤーを煩雑にさせるだけだろう。もっとも、作者としては「覚えていない魔法は使えない」というゲーム性を大事にしたかったのかもしれない。
 こうしたゲーム性は、魔法の神秘性を保つ上で(特別感を演出できるという点でも)有効に機能する場合もあり、実際に「ワルキューレの冒険」では魔法を使用すると常に何らかの描写がされていることから、物語性という点にも作者が十分に配慮していることが伺える。だがその一方で、あまりにも魔法がテクニカルすぎるものになり、中盤では完全に作業となってしまい、快適さやストーリー性が減じる結果となってしまったのではないだろうか。
 
 そして第三巻『時の鍵の伝説』だけにお目見えする「パーティ・コントロール」だが、これはマーベルランドという世界(探索地域)において、プレイヤーがプレイしているのが主人公とワルキューレのペアか、仲間となるサブキャラクター・ニスペンとアテナのペアか、主人公も含めた四人のグループか、で出現する敵や起こるイベントが異なるというものだ。平面的な探索地域を立体的にするという点で、このシステムは例を見ない見事なものである。双方向移動の欠点は、一度行った場所に再び来ても目新しさがなく、ただパラグラフを素通りするだけに終始しやすいということが挙げられるが、パーティ・コントロールではこの点がかなり解消されている。つまり、同じ街にいても三通りのイベントが体験できるというわけだ。
 この仕組みはファイティング・ファンタジー・シリーズの第二十八巻『恐怖の幻影』などでも、夢と現実を融合させることで同じ場所でも立体感を出すことに成功しているが、「ワルキューレの冒険」ではゲーム的には成功しているものの、ストーリー的には実際のゲームブックのプレイとしては難しい面もあったように思われる。例えばずっと主人公とワルキューレのパーティを動かしていて、いざニスペンとアテナのペアに変更した場合、後者のパーティの現状がどうだったのかを失念する危険性を孕んでいるのだ。つまり、「主人公とワルキューレ」と「ニスペンとアテナ」そして「四人のペア」のストーリー展開が、言わば読みかけの小説をいったん中断して、別の小説の途中から読むような気分になってしまう可能性がなくもないということである。

 さて、このシリーズの大きな特徴の一つに、前述したように主人公は元々ワルキューレに憧れて出奔する名もなき若者という設定になっていることが挙げられる。それを表すように、全巻を通して主人公の若者が「名前」で呼ばれるシーンはただの一度もない。ところが作者の本田成二は、本シリーズにおいて主人公(とその一行)を、『スーパー・ブラックオニキス』のようにキャラクターに特徴を持たせて色分けをするか、それともファイティング・ファンタジー・シリーズのように一貫して背景化(できるだけ目立たせない)ようにするかを迷っているような節が見受けられる。
 例えば出発の冒頭で、主人公は友人ヤッシムの家に行くか、武器屋に行くかの二択を迫られるのだが、「無色透明の君」である若者に、個人名が付された「友人ヤッシムがいる」ことがここで初めて判明する。そして、その友人の家に訪問する選択をすると、読者であるプレイヤーが意図してはいないかもしれないことを滔々と直接話法で(つまりカギ括弧つきで)語り出す。つまり、直接話法と相性が良い「キャラクターが決まっている特化した主人公」と、間接話法が馴染む「君が主人公」という二つの特性を同時に採用しているのだ。
 
 「無色透明の君」が直接話法を用いてゲームを進行させるのには賛否両論があるだろうが、プレイヤーの想定がそのまま生きたボイス(直接話法)で語られれば、読者はまさに主人公と一体になる感覚を味わえるだろう。極端な話、主人公は現実世界ではどうあがいても「ギルガメス」や「メスロン」にはなれないわけで、実際には完全武装の金色の鎧をまとうこともなければ、パンタクルで魔法が使えるわけでもない。ところが、「ワルキューレの冒険」では、主人公の属性が極めて「一般人」に近い。例えば旅立ちを決意する冒頭で、母親が「部屋へ行って、ゲームでもして遊んでいなさい」と主人公を諭す場面があるが、ここまで現実志向に徹底していれば、ゲームとしてのフィクションに、現実の「君」を投影することは容易い。
 付言すると、プレイヤーは何と冒頭で殺人を犯す犯罪者になることもできるという「極悪人プレイ」を堪能できるのだが(これは英雄たる「ポール・ジョーンズ」や「クロービス」にはできない悪辣な選択だろう)、こうした現実に即した自由さという点でも、読者の意向と物語の「君」が合致すれば、まさに「君は主人公」の気分を堪能できる仕組みになっている。
 
 もっとも、冒険の間中ずっと続くこの傾向は、同時に諸刃の剣にもなりうることは指摘しておく必要がある。本作には一緒に行動を共にすることになる盗賊のサンディや、道中で知り合う巨漢のニスペン、魔法に秀でて時にクリティカルヒットを出す美しい女剣士アテナなどの魅力的なキャラクターが満載なのだが、主人公は彼らとも基本的に直接話法で数多くの会話を交わす。となると、時として(あるいは必然的に)「実際のプレイヤーが想像しなかった会話」をする現象が見られることもある。
 例えば第二巻『ピラミッドの謎』の闘技場でチャンピオン戦に挑むというイベントがあるのだが、勝利すると主人公が勝手に賞金のうちの一部を司会者に渡してしまうのだ(もっとも、ストーリー的には大いに意味のある行為なのだが)。つまり、主人公キャラクターを自由自在に動かしたいというゲーム性(これは「無色透明の君」が適任である)と、物語の展開的に主人公が取るべき言動を自動的に取るというストーリー性(これはキャラクターが際立っている方がよい)が両立し、時にせめぎ合うことになる。「無色透明の君」が、読者自身も知らない特性や性格を持っていて、そのとおりに動かさざるを得ないという、良く言えば二つの長所を先取り、悪く言えば首尾一貫しない作りになっている。
 
 キャラクターの魅力という点にもう少し言及すると、第一巻『迷宮のドラゴン』の「あとがき」で、作者が「つぎのゲームブックに登場するキャラクター」を募集しており、実際に第二巻『ピラミッドの謎』では、ワルキューレと冒険を共にしたいと馳せ参じる「全国の読者が創案したキャラクター」が我も我もと登場する。彼らは半分機械人間であったり、ごつい剣士だったり、豪放磊落な闘士だったりするが、名前だけの登場のキャラクターもいれば、主人公側にどっぷりとはまり込んで同行するキャラクターもいて、その豊かなバラエティに飽きることがない。言わばプレイヤーの孤軍奮闘ではなく、随所に「他の無名のキャラクター」がしっかりと動いているという、オープンワールドのような実感を得ることができる。
 また、一癖も二癖もある少年ジェリーとの絡みがあったり、第三巻のクライマックスではゾンビと化した「一般からの参加者」たるスミシー(「元公務員でゲームマニア」という設定が泣かせる)と、無敵の剣士クラウドが襲い掛かってきたりと、この作品では、やはりキャラクターの個性を大事にしていることがひしひしと感じられる。特に第一巻で主人公と密接に絡む血気盛んな盗賊サンディは、第三巻のフィナーレで思わぬ形で主人公パーティと再会するなど、ドラマチックな展開も期待できる。
 
 第三巻『時の鍵の伝説』では、主人公パーティはワルキューレと合流して一緒に旅をすることになるのだが、道中で再会したニスペンとアテナ、そして主人公を含めた四人パーティで冒険を進めていくことになる。既に論じたように、どちらかと言うと強い個性のない主人公(これは、主人公が「無名の若者」であるからには当然なのだが)に対し、サブも含めた仲間、特にパーティの一員として具体的な数値が与えられているワルキューレ、ニスペン、アテナ、サンディらのキャラクターが個性的で絞り込まれているところが、本作の白眉だろう。
 例えば、ニスペンやサンディとは第一巻で冒険を共にしているが、イベントの合間で離れ離れになってしまう。ところが、別の巻で彼らと感動的な状況で再会でき、更には自由自在に彼らを動かす(しかも成長させる)ことができるのである。つまり、「キャラクター特化のゲームブック」の魅力を存分に生かしつつ、「無色透明の主人公」の特徴を保持しているのが「ワルキューレの冒険」の特筆すべき点だということだ。鈴木直人の『スーパー・ブラックオニキス』も四人のキャラクターを動かすシステムをとっているが、あちらは主人公キャラクター(あなた)が強い個性を持っていて、それに負けないようにそれ以外の三人も個性的だったのと比較すると、「ワルキューレの冒険」シリーズは「主人公よりも他のキャラクターやパーティの個性を最大限に引き出す」という特徴を有していると言える。
 
 そして、主人公の「君」と、これらのサブキャラクターとの軽妙洒脱で自由闊達な会話もまた、この作品の完成度を高めている特徴の一つだろう。システム面では魔法の効果や種類などに反映されているように、ファミコンの原作のコンピュータRPGを意識した要素が多いように見受けられるが(おそらく作者がゲームのファンを視野に入れていたこともあるだろう)、ストーリー面や文章構成という点では主人公や他のキャラクターの掛け合いが多く、当時ファミコン冒険ゲームブックを多数発刊していた双葉社のゲームブックの雰囲気も漂わせている。その意味で、比較的低年齢層のプレイヤーにも無理なく入り込める敷居の低さが、この作品にはあると思われる。
 
 もっとも、主人公を没個性的にして感情移入をしやすくする(ゲーム性の特化)と同時に、直接話法に見られる「キャラクターの立ち位置」(ストーリー性の特化)を確立させるという手法は、時としてキャラクターがプレイヤーを置き去りにしてしまう危うさも内包する。これは、本田成二がゲーム性を重視するかストーリー性を重視するかで、その両立を目指したことに起因しよう。
 例えば、鈴木直人の作品は主人公のキャラクターが際立って魅力的かつ特徴的で、こちらが何もしないのに勝手な言動を取ることがよくある。だが、プレイヤーは言わば「分身」として別のキャラクターを動かすと考えているため、あまり違和感はない。『ティーンズ・パンタクル』の主人公大島いずみは(「あなた」や「君」と表記されず)「あたし」と自らを呼ぶが、男性プレイヤーでもすんなりと感情移入できるのは、実際のプレイヤーと冒険の主人公の切り分けがすっきりしているからだろう。
 一方、「無色透明の君」で有名なファイティング・ファンタジー・シリーズや、SAGBのゴールデン・ドラゴン・シリーズは、没個性的なプレイヤーキャラクターを動かすために、現実の読者と主人公が一体化する。実際、「ソーサリー」シリーズやファイティング・ファンタジー・シリーズは、主人公である「あなた」が直接話法で描かれる場面がほとんどない。これは、読者自身が性別や属性なども含めて完全にゲームブック内の「あなた」と同化するため、その言い回しや発言の様態などを完全に読者に委ねているからだ。この意味で、「ソーサリー」などは読者とゲームブック内の「あなた」が一心同体となっている。その代わり、主人公の生きた台詞や生の会話のトーンを味わうといった楽しみはこちらには存在しない。
 
 どちらのシステム(主人公の扱い)を選ぶにしても一長一短があり、究極的には作者や読者の好みに委ねられるのだが、「ワルキューレの冒険」シリーズでは言わば中道を貫いているために「曖昧」という印象がどうしても感じ取れてしまう。SAGBの書籍にたまに折り込まれている「アドベンチャラーズ・イン」という冊子(数ページの小冊子であり、読者投稿や新刊案内などを目的とする同人誌的な新聞)があるのだが、そこである読者の第一巻の『迷宮のドラゴン』の評価が百点満点中二十点だった(同誌12号)のは、その辺りの感覚を反映しているのではないだろうか(この評価を巡って同誌で色々な意見が出たが、最終的に「ゲームブックに点数をつけるな」という別の読者の投稿(同誌13号)で終わっている)。
 逆に言えば、「ワルキューレの冒険」は、突き出たキャラクター作品の特徴である直接話法(これは、SAGBをはじめとする日本人作家に多い)に、間接話法に象徴的に見られる「無色透明の君」(ファイティング・ファンタジー・シリーズをはじめとした海外産ゲームブックに多い)を融合させた試みを行ったとも言えるだろう。その意味で、「ワルキューレの冒険」は両者の「いいとこ取り」を狙った作品であり、その効果は十分に発揮されていると思われる。

 色々と批判を挙げ連ねたが、それは「ワルキューレの冒険」が最後まで、ストーリー性とゲーム性の両立を目指し、そして完全には整合性を取り切れなかったことに原因の一端があるのだろう。ゲーム性という点では「ワルキューレの冒険」にも優れた特徴があり、例えば先に言及した「主人公を思い通りに成長させる仕組み」は独自の試みではないだろうか。
 また、『ピラミッドの謎』の後半のピラミッドの冒険では、前半にクレバーにヒントを得ておかないと解くのにかなりてこずる仕様になっている。ピラミッドにはゴーストフェニックスと呼ばれる恐ろしい怪物が宝物の守護者として登場するのだが、この難敵はこちら側の経験値を奪う「エクスペリエンス・ドレイン」の魔法を毎ターン使ってくるので、まともに戦ってもまず勝ち目はない(仮に勝ったとしても、パーティの戦力が壊滅的に低下する)。しかし、事前にあるアイテムを装備しておけば、この強敵も比較的楽に退治できるのだ。前半の旅で賢く立ち回って情報収集をしておけば、いざこのモンスターと戦う段になっても焦らなくて済む。本作も「ドルアーガの塔」三部作と同じで、うまく手がかりを活用すれば危機を最低限に回避できるようになっている。
 ここでも「気ままな(バーサタイルな)」選択肢やノーヒントのデッドエンドなどはなく、事前に手がかりを提供するという寛容さ(このフェアな計らいは日本人作家の特徴と言っていい)が見受けられる。また、第三巻で本格的に操作することになるワルキューレはさすがに「神の子」らしく特殊能力を持っていたり、盗賊のサンディが自身の重大な秘密をカミングアウトする印象的なシーンがあったりと、雰囲気を最大限にまで盛り上げる描写力も兼ね備えている。
 
 どうしてもフラグ処理の関係上、双方向移動を採用しているゲームブックは容量が分厚くなりがちだが、「ワルキューレの冒険」もなかなかのボリュームである。逆に言えば、これはゲームとしての「ゲームブック」の中にも文学性、物語性を重視して描写をおろそかにしないという作者の意欲を表してもいよう。こうした「ゲーム」「パズル」といった側面と、「ストーリー」「物語」「(魔法の)神秘性」といった側面は、往々にして対立し合う関係にあり、第7回でも詳述したが、その相克を解決するのは容易ではないことが伺える。このバランスを保つという難解な試みを目標とし、そして一定の成果を収めた「ワルキューレの冒険」は、その是非はともかく、非常にチャレンジングなシリーズと言えるだろう。

◆書誌情報
 ワルキューレの冒険 第一巻『迷宮のドラゴン』
 本田成二・木越郁子(著)
 東京創元社(1988/3/30)絶版

 ワルキューレの冒険 第二巻『ピラミッドの謎』
 本田成二(著)
 東京創元社(1989/4/28)絶版

 ワルキューレの冒険 第三巻『時の鍵の伝説』
 本田成二(著)
 東京創元社(1989/10/31)絶版

■参考文献
 『恐怖の幻影』
 ロビン・ウォーターフィールド(著)安田均・深田宏(訳)
 社会思想社(1989/4/30)絶版


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